空の音を聴く

好きなものについてまとまりなく書くブログ。関ジャニとか読書とか映画とか。

関ジャニ∞が大好きだ、という事。

十五祭、とても楽しかった。
9月3日の千秋楽公演に行くことが出来て、その楽しさを抱えたまま広島に戻ってきた。
4日の夜、Twitterで「なにこれ?」とびっくりするようなゴシップを目撃した。

亮ちゃんが明日、脱退について知らせる。

意味が分からなすぎて、そして鼻で笑った。
そんな事あるわけ無いじゃん。
この記事書いた人は昨日のあの公演を見てないんだろーな。
そう思って記事をスルーしそのまま寝た。

5日当日。
遠征の疲労が残りつつもテンションを半ば無理やり上げて仕事に臨み、携帯を一度も見ることなく働き続けた。
夕方に届いていたメールを見たのは、お知らせや動画がすでにアップされた17時過ぎ。

驚愕という言葉が正しい。
職場の最寄り駅でホームに入ってくる電車を待ちながら、一瞬で色々と察した。
同時に、頭に五寸釘を打たれたような頭痛がやってきて血圧も下がったような感覚になった。
苦しかった。
涙は出なかったけど、信じられないという気持ちが一番にあった。
信じたくない、の方が正しかったと思う。



亮ちゃんが関ジャニ∞を辞める。


言葉で表すとたったそれだけの事かもしれないけど、私には心臓に突き刺さってくる言葉で、でももうそれは変えられない事実で。

20代も終わろうとしている奴が何をごねてるんだと言われそうだが、私は悲しい。
だって、みんなに「亮ちゃん」「亮」と言われる彼がもう見れないのかと思うと、本当に苦しくなる。
会場でいつも、彼らのコンサートに行く度に「錦戸くんは輝いてる。」と感じていた。はじめて彼らのコンサートに行った日に、錦戸くんのカッコ良さに震えたのを覚えている。キラキラした衣装に負けないくらいカッコいい彼に会えない、と思うとつらい。


建前を言うと、やだーやだー!とごねるよりも亮ちゃんや5人を応援したい。前向きに応援したい。
でも、悲しいという気持ちも隠すことは出来ない、というのが今の心境。



Twitterやブログを見ていると、みんな色々な気持ちを抱えているなと思う。

亮ちゃん担さんの気持ちを推し量ることは私には到底出来ないしその資格もないと思う。
かける言葉も持ち合わせていないし無責任に励ましたり同調したりは出来ないのでただ、見守っている。
顔を知っている方もいるし知らない方もいる。
私は、ただその人たちを思っている。それだけしか出来ないな、と今は思う。

ずっと苦しんでいる方もいるし、前向きに!応援する!と言葉にされている方がふとした瞬間に弱音というか、心の傷を吐露している瞬間もTLでは見て取れる。
色々な受け止め方があっていい筈。
こうしろとか、ああしろとか。
誰かに指図する謂れはない。
人の気持ちはその人にしか分からない。理解しようとする事は出来ても全てを把握するのは難しい。
ひとつ私が思うのは、誰かを傷つけたりするような言葉は吐かないでおこう、という事だけ。
◯◯のせい、とか。◯◯最低みたいに、理不尽に怒りの矛先を向けたり誰かを蔑むような言葉は使わないでおこうと思う。


まだ上手く言葉に出来ない気持ちが大部分を占めているし、私自身言葉に表すのが下手なのでどなたかとしっかりお話をしたり、という事はできてない。
本当はどなたかエイターさんとお話して気持ちを外に出したいのだけど、ど田舎過ぎてすぐ会いに行ける距離でもないし身近にエイター友達がいないのでそれも出来ない。
Twitterに言葉を落としていっているが、励ましのようにイイネ!をくださっている方々には感謝しかないです。
ありがとうございます。



そして。
タイトルにも書いたけど、私は5日のあの発表があってからずっと、とにかく思い続けている事がある。

関ジャニ∞が大好きだ!

という事。
それだけは絶対に揺るがない。
私は9月3日、東京ドームにいた。
楽しかった。
大好きだなぁと改めて感じた。
六人の作る世界を、愛しいと思った。


昨年のツアーは、6人も葛藤したり手探りだったり体調的にも色々なものを抱えていたツアーだったのでは、と思う。
私自身の事でいうと、諸々(地元が災害に遭ったこと)の理由でツアーは千秋楽しか行けず、感動で呆然としていてあっという間に終わった、というかんじだったので「6人の作るコンサート」を、深く心に落とし込めないままで2018年を終えた。

今年の十五祭は、福岡と東京の二ヶ所に行くことが出来た。
私的初日の福岡は人生初のアリーナで距離の近さとセットリストの凄さに終始戸惑い、ひぃひぃ言いながらの参加で、二回目の東京でやっと落ち着いて見ることが出来たな、と感じた。

6人の作る世界は、優しくて温かった。
そして、音が明るくてステップをしてるように跳ね、色で表現するなら虹色みたいだった。
自分は横山担だが、コンサートに行けばみんなを見る。
ヤスくんの背中に羽根が生えているようで、泣いてしまった。走って飛んで、一年前の姿を見ていただけに涙が止まらなくなった。
村上くんがキーボードで美しい旋律を奏でる度に心が震えるようだった。はっちゃけてるのが可愛くて泣けた。
丸ちゃんの声色の幅に驚いた。魔法のように変わる。フレーズ毎に変わるその声に、私は丸ちゃんの歌声が本当に好きなのだと再認識した。
大倉くんは、隙が無いなぁと感じた。ちょっとへにやってなってる姿も、ドラムを懸命に叩いている姿も、ぜんぶアイドルだなと思った。
横山さんは、私には神々しい王子様みたいに見える。フィルターかかってると言われようが私には心の支えだし王子様なのだ。トランペットの音が温かくて優しくて、そして「LIFE~目の前の向こうへ~」を熱唱する姿を見て改めて横山さんが好きなのだと思った。かっこよくて綺麗で一生懸命な自担が本当に大好きだ。
亮ちゃんは、可愛くてかっこよかった。いつも思うけど、ダンスも完璧でカッコ良くて男らしい歌声で、でもラブスタグラムではヘタレっぽさが出てて愛しかった。

6人のコンサートを見て、「大丈夫だ」と思った。
公演翌日、フォロワーさんとご飯を食べながら「大丈夫だと思えた。6人なら大丈夫だと思う」と語った。
それぐらい、楽しくてすごいコンサートだったと思う。

その裏に隠された彼らの思いを私は後から知った。
そうだっのか、と思うと同時に私は何も分からなかったなぁとも思った。
私は彼らが笑ってる光景ばかり見ていて、それを絶対に忘れたくないと思ったし、それは今でも変わらない。
結果的に亮ちゃんの最後のコンサートになったが、関ジャニ∞が最高のコンサートをしたという事実は揺るぎ無いものだし、私はそう信じる。
この先何度も、あの日を思い出すと思う。
でも、一番に思いたいのは彼らの笑顔だ。
みんな優しくて可愛い笑顔だった。
私はその笑顔に何度も涙が出てしまったのだ。



大好きだ!と言いたい。
関ジャニ∞が大好き。

昨年、私の地元が災害に遭遇し(ずっとブログを読んでくださる方にはしつこいよと言われそうですね。すみません。)、自分に近しい人が苦しんでいる姿を見て何度も泣いてしまった。
職場が浸水した。一部だけど、それでも私たちの職場にとっては宝といえる場所だった。

つらい状況で、関ジャニ∞に何度救われただろう。
思い返すとつらい記憶ではあるのだけれど、私にとっては関ジャニ∞に力をもらい立ち直っていった時間でもある。
ありがとうという気持ちが尽きることはない。


47ツアー楽しみだな、とか。
また彼らに会えるのだな、嬉しいな、応援したいなという気持ちもある反面、
亮ちゃんに会えなくなるかもしれない事が本当に苦しくて堪らない。
どちらの気持ちもある。
今はまだ心の整理がついてない。

でも、絶対に揺るがないのは彼らが大好きだという事。

みんなの笑顔が大好き。
私は、彼らが健康で笑顔で居てくれるだけで十分だと思っている。
幸せであってほしい。
それだけ願っている。


関ジャニ∞が大好きです。
今は、それだけ。とにかく、その気持ちを持って過ごしたいと思います。

みんな、大好き。

西日本豪雨から1年経っての、今。

去る7月6日、西日本豪雨から1年という日を迎えました。

もう1年経つんだな、という思いもありますが、1年で色々な出来事があったなという風にも思います。

 

多くの方が犠牲になりました。

どうか天国で安らかに休んで欲しいと願うしか、私には出来ません。

本当に心が痛みます。

まだ、行方の分からない方もいます。一日でも早く家族の元に返してあげて欲しい。捜索が続いています。

そして、今もなお沢山の方が避難生活を強いられています。

1日でも早く安心した生活が出来るよう、強く強く願っています。

 

沢山の事がありました。

正直、本当に泣いてばかりだったなぁ、と振り返れば思います。

でも、それと同じくらい嬉しい事や有り難いと思う事も沢山ありました。

1年という節目に、自分の気持ちの整理もかねて、書き残しておこうと思います。

ちょっと時間が経ってしまっていますが・・・。ちゃんと書き残さないと後悔しそうなので。

 

もし、気分が悪くなりそうだなとか、被災地の事を知りたくないなぁという方がいらっしゃいましたら、ここでページを閉じてくださいね。

そして、多くの人に見て頂けるよう、「ジャニーズ」のカテゴリーに記事を投稿させていただきます。

どうか許してくだされば、と思います。

 

 

 

 

 

このブログでも何度も書きました。

ずっと読んでくださっている方は、「もう知ってるよ」と言われてしまいそうですが、私は広島県南部、海沿いの小さい町に住んでいます。

町は昨年、西日本豪雨の被害に遭い「被災地」の一つとなりました。

 

当時の事は、こちらのブログに書いています。

dropblue0212.hatenablog.com

 

 雨が降り始めたのがいつだったのか、私は覚えていません。

いつの間にか降り始め、気付いたらずっと雨降っているなぁ、というかんじでした。

発災前日に、電車が雨量計の基準値を超えたとかで止まってしまったんです。当時は、「またいつもの土砂崩れとかかな?」と全く気にしてませんでした。

2~3年に1回くらいのスパンで、土砂崩れに遭う路線を使っていましたので、「いつもの事」とさえ思っていました。

驚かれるかもしれないんですが、本当によく崩れるんですよ。

だからそれは当たり前の事だったんです。

発災当日はバスで帰宅したのですが、夕方にはすでに途中の道路が土砂崩れで通行止めになっていたんです。

バスの運転手さんがアナウンスで言った場所は、いつも大雨が降ると崩れていた場所でした。「またあそこかー」としか思いませんでした。

今振り返れば、どんどん状況はひどくなっていったんだと思います。

いつもなら、そこで終わっていた筈なんです。

いつも崩れる場所は決まっている。いつもならそこで終わりだった筈。

でも、その後もずっと雨は降り続き、恐ろしい被害を生みました。

 

あとはもう、これを読んでくださっている方々がご存じの通りです。

川が決壊し大量の濁流が住宅を襲いました。

山が崩れ家を次々壊していきました。

道路は崩落して穴が空き、ライフラインも物流も止まる。

今まで経験したことのない状況でした。

 

発災翌日の朝。

テレビ中継に映し出されているのは、私が知っている広島ではありませんでした。

 

「広島はもうダメじゃ」

 

という父の言葉を今でも覚えています。

私も同じように感じました。

もうダメだ。なんでこんな事になったんだろう。これからどうなるんだろう。

混乱した頭で、ずっとそんな事を考えていたように思います。

 

両親とも広島で生まれ育ちました。

故郷をはじめ、生まれ育った県で起きた災害にひどく傷ついていました。

そして、雨に対して過剰に反応するようになりました。

恐怖というものが、一番にあるようです。

当時も冠水した自宅前を見てブルブル母と震えていたのですが(雨脚が弱まり、浸水を免れました。)、強い雨にはびくびくしています。

そして、サイレン。

梅雨が明けると台風シーズンとなり、気象警報が出るたびに防災無線でサイレンが鳴っていました。

深夜とか明け方とか、時間は関係なくとにかく大きな音で。

注意を促すためなので音が大きくて当たり前なのですが、夜中に驚いて飛び起きてしまう事が何度も何度もありました。

母は特に物音とかにも敏感なタイプなので、毎回怖くて堪らないようでした。

 

私自身も、精神的にしんどい時期がありました。

発災後すぐは、とにかく食事に味がしなかったです。何を食べても美味しくなくて。

先の事を考えたりすると眠れなくなったり。

雨の音が聞こえた気がして飛び起きたり。

家が壊れた訳でもないし、怪我をした訳でもないのに、そういう変なかんじになってしまった時がありました。

誰にも相談できず(みんな、色々な思いを抱えていたので。)、匿名で利用できたLINEでのこころのケアで相談させてもらいました。

カウンセラーさんの話では、私と同じように住家被害は受けていないけど当時の状況を思い起こしたり人づてやメディアを通して見聞きした事でつらい思いをして苦しくなっている人がいる、とのことでした。

それで、だいぶ救われました。

今でもたまーに、当時を思い出して怖くなる瞬間があります。

まだ復興途中ですので、壊れた道路とか家などを見ると心臓がぎゅっと潰されたような感覚に陥りますし、それは私だけではなく多くの人がそうなのだなと思います。

しんどいなぁと思う時はあるのですが、沢山の支援のお陰で前向きに過ごす事が出来ています。

本当に感謝です。

 

 

しんどかったし、つらかったし、数えきれないくらい泣いてしまいました。

でもそれ以上に、感謝したり嬉しく感じることも本当に沢山あったのです。

 

沢山の支援を頂きました。

書ききれないくらい。私が把握してない所でも、いっぱい、色々な人に助けてもらって広島は復旧の道を歩み始めています。

 

発災後すぐの混乱状態は詳しく思い出したくないんですが、早い所ではたったの1週間でボコボコに穴が開いて崩落していた道路が通れるようになりました。

めっちゃすごくないですか?

すごい穴開いてるし崩れてるし、無理じゃない?って思うような状態からたった1週間。

豪雨後はすごく暑くて、作業するのも大変だったと思う。でも1週間で車が通れるようにしてくれたんです。

そのお陰で物資が町に入ってくるようになって本当にありがたかったし、スーパーがいつもと変わらない光景になった時は泣いてしまいそうでした。

他県からの支援も道路が無いと来れない場合もあるし・・・本当に感謝の一言でした。

まだ崩落したままの道もあります。

片側交互通行とか、一車線つぶして後は通れるようにしたとか、いつもとは違う状況ではあるのですが。

休日も作業している光景をよく見ます。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

それだけ被害があったという事だと思うのですが、自衛隊の救援も私の町に来てくれました。

その時の光景を、私はずっと忘れません。

毎日テレビで広島や他の被災地の状況を見ていて、両親とは「もうだめだ」と話していて、沈んだ気持ちで買い物に出かけて(でも行った先のスーパーは物がほとんどない)、

そんな時に自衛隊の人たちが前から歩いてきてたんですよ。

「えっ」「自衛隊?」って声が出て、後ろを振り向くとめっちゃ沢山の自衛隊の車が自治体関係の施設の駐車場に止まっていたんです。

母と喜びました。

喜んでいい状況かは分からなかったんですけど、でも、助けに来てくれたんだと思うとすごく嬉しくて有難くて堪りませんでした。

1か月くらい、支援のために居てくれました。

Twitterで、とある自衛隊の部隊がヘリで私の地元への救援にこれから向かうっていう情報が流れていて、心強さと有難さとで涙が止まりませんでした。

遠出しても自衛隊の方たちとすれ違う事がよくありました。

作業をした帰りなのか助手席で寝ている姿とか見ると・・・何だか、泣けて仕方なかったです。

職場の人たちからも、給水支援などで優しい言葉をかけてもらったと聞きました。

こども関係の施設に勤めているので、こどもたちからも彼らの話を聞きました。ヒーローだったのだと思います。「かっこよかった」と言っていました。

普段泣いたりしない父も、災害後数日たち気分転換の散歩で海の方に出た時に何隻か護衛艦を見たみたいで、毎日通っていた散歩コースなのにそんな事は初めてだったそうで。

きっと支援に向かっているのだろうと思うと、心強くて泣いてしまったそうです。

直接伝えられる機会があるかどうかは分かりませんが、本当に感謝しています。

 

本当に書ききれない(汗)

ライフラインの復旧のために尽力してくれた人たちや、市町村の人、消防関係の人、ボランティアに来てくれた人たち・・・

書きだしたらキリがないんですが、本当に沢山の人たちの支援をいただきました。

ありがとうございます。

ボランティアに行った際、県外から来てくれた方々とお話し直接感謝を伝えることは出来たんですが、逆にすごく励ましてもらったり。

今でも忘れません。

 

握手をしたり優しい言葉をかけてもらったり。

ずっと覚えていたいです。忘れがたい経験でした。

 

電車も5か月止まっていて、12月に再開しました。

代替輸送の手段はバスだったのですが、関西を中心に遠くはなんと北海道から応援が来てくれました。

すごくないですか・・・?有難かったです。

道路のすぐ横に土砂が積み重なってたり、被災家屋が並んでいたり、そういう状況の中で他県から来た運転手さんが運転してくださって職場に通勤できる。

常に感謝の気持ちを持たないといけないと毎回思いながら利用させてもらいました。

代行バスに「がんばれ広島」っていうプレートが貼ってあったんです。

それを見たらすごく勇気づけられました。

電車の運行再開日は、とにかくうれしい事の連続で。

 

 

幸せな日でした。

すごく嬉しかった。今でもこの日の嬉しさを覚えています。

感謝の気持ちを忘れないようにしよう、と思えました。

雨ですぐ止まっちゃうし、すぐ徐行になるけど、でも電車を走らせるために沢山の人が尽力してくださった事を知ったので。

感謝です。

今でも毎日、ありがたいと思いながら電車を利用させてもらっています。

 

そして。

ここのブログや、Twitterの方でも沢山の人に優しい言葉をかけてもらいました。

フォロワーさんの中には直接会ってお話しした方もいらっしゃいますが、ほとんどの方は本名も顔も存じ上げない方で・・・

そんな私に、驚くくらい沢山の方が優しい言葉をくださいました。

 ありがとうございました。

もう、当時は本当に毎日泣くくらいの勢いで、何でこんな事になったのかとか夢だったらいいのにとか、そういう事ばかり思っていました。

そんな時に、優しく励ましてもらえて・・・

すごく救われました。ずっと忘れません。

この先、私を助けてくれた人が困っていることがあったら、もし自分がそれに対して何か出来ることがあったら、迷わず力になりたいと思います。

つらい思いをする事は、無い方がいいですし、皆さんがいっぱい笑って、幸せな生活が送れるよう願っていますが、もし、万が一しんどい事があれば。

自分に出来る事があれば、力になりたいです。

 

 

くどくどと、色々な事を書いてしまいました。

長くてすみません。ここまで読んでくださってありがとうございます。

 

広島はまだ、復興の途中です。

私の町は、復興に5年以上かかる見通しだそうです。

工事も半分も終わってないようで、実際、あの日のまま、崩れたり壊れたりしている所の方が圧倒的に多いです。

決壊した堤防も応急処置として土嚢でふさいで、そのままですし。

砂防ダムも、それを越えて土砂が住家に到達してしまったのですがそのままです。土砂残ったままで、ダムの工事はいつ取り掛かれるのかな・・・とずっと心配しています。

 

ポイントで募金出来るHPのリンクを貼らせてください。

docs-donation.yahoo.co.jp

 

まだまだ復興への道は遠いです。

もし、余裕があって募金してみようかなと思ってくださったら・・・

是非とも。

どうか、よろしくお願いします。

 

 

さて。

そろそろまとめさせていただこうと思います。

全然まとめられなさそうなんですが・・・(笑)

 

こうして書きながら思い出してみると、本当に色々な事があって、そして、沢山の支援を受けて自分が生活しているのだなという事を改めて実感しました。

何度も言うししつこいんですが、でも、「ありがとう」の一言なのです。

当たり前だったものがあっという間に崩れ去ってしまって、そしてようやく当たり前なんてないのだと知りました。

ごはんを食べたり、仕事に行ったり、楽しい事をしたり、そういう事すべて、今出来ているのは助けていただいたお陰です。

それを忘れず、これからもがんばらねばと改めて思います。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今年もあと半年。

最後まで良い1年にしましょうね。

この先もずっと、幸せに生活出来ますように。願っています。

 

そしてそして。

是非とも元気になった広島にお越しください。

まだ災害の爪痕が残っているんですが、それ以上に魅力たっぷりの広島が待っています。

美味しいものも、素敵な場所も沢山あります。

観光に来てください。

私の地元は嵐さんのCMロケ地に選ばれまして、観光地からは嬉しい悲鳴が上がっています(笑)駅でよく嵐ファンの方に遭遇します。嬉しいです。

 

素敵な夏になりますように。

私の大好きな関ジャニ∞は、明日からツアーが始まります。

早く彼らに会いたいです。

それでは。良い夏にしましょうー!

 

 

災害ボランティアに行った話。

 

またまたお久し振りです。

・・・と、言っても半月ぶりくらいでしょうか。

前回の記事にも、温かいお言葉を頂きました。ありがとうございます。

 

さて。

書こうか迷っていたのですが、今回はボランティアの事について書いていこうと思います。

中々自分の気持ちを上手くまとめられないでいたのですが、やはり記録に残しておこう、と。

 

これを読んでくださった方の中には、今までボランティアに何度も行ったことがある、という方もいるかもしれませんし、たった1回行ったくらいで何を、と言われるかもしれませんが、思うことが沢山あり書き残しておこうと思った次第です。

 

毎度毎度のお願いなのですが、この後に続く文章に、災害に関しての記述が出てきます。

読んでいてつらい思いをさせてしまったら申し訳ないので、読むの嫌だなと思う方はこの記事を閉じてくだされば助かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が今回ボランティアさせていただいたのは、広島県内の某A市です。

(地域についてほんの少し、詳しく描写させていただく箇所があるかと思いますので、あえてA市とさせていただきます。)

具体的な場所は分らずとも、こんな風な被害があったのだな、ボランティアってこうだったんだな、と思ってくだされば。

 

A市は、今回の災害で仮設住宅が作られることになりました。

それほど、被害が甚大でした。

県内でも大きな市の一つで、私がボランティアに行った9月初旬でも、まだサテライトが5か所くらいあり、広範囲に渡って大きな被害を受けたところでした。

 

5か所あるサテライトの中で、私はB地区での活動を希望しました。

B地区は高校の同級生の家がありました。

遊びにも行ったし、B地区にあるお店にご飯を食べに行った事もあります。

B地区にあるJRの駅が浸水したという話題がTwitterに流れており、検索したら、駅周辺にある住宅地が浸水している動画を見つけました。

 

私の知っている場所が、大変な事になっている。

今回の災害で、何度も何度も思った事ではあったのですが、駅前が浸水しているという映像に、ショックを受けました。

そして9月。

職場の方も落ち着き、自分の体調も落ち着き、気温も下がってきてこれなら迷惑をかけずにボランティア出来るぞ!という段階になって、B地区でのボランティアに参加することに決めました。

被害は大きいものの、中々ボランティアの人手が集まらない、というのが一番の決め手になりました。

 

 

私がした活動としては、午前中はスタッフの方と一緒に各作業の見守り・地域の巡回。

そして、午後からは土砂災害に遭われたお家の掃除をさせていただきました。

 

B地区のとある集落での活動でした。

送迎の車(これもスタッフさんが出してくれていました。)に乗り、ボラセンからしばらく山に上り、集落にたどり着きました。

途中、集落までの大きな道路は崩落していたので工事が続けられていました。

そして、その集落。

送迎車から降りて、思わず声を失う程のひどい有様でした。

 

山あいの集落ですので、道もあまり広いわけではないんですが、その道の両横に、巨大な石、流れてきた木、土、瓦礫が積み上げられていました。

ここ、車通れるの?と思うくらい、何とか車一台を通せるようにしたんだろうな、という程のごみの山・山・山・・・

色々なものが交じり合ってごみの山を形成していますから、臭いもひどくて、虫も飛んでいるという、目を疑うような光景でした。

押しつぶされた家とか、家の一部が残っているだけのところとか、とにかく、ひどかった。

大量の水で土砂や木が流されてきて、9月初旬の2か月経った時でさえ、まだ水がダーダーとどこからともなく流れてきて、その水を自宅に入らないよう土嚢を積んでいる家もありました。

ボランティアに行った前日は大雨で、そのせいもあったかと思うのですが、どこからともなく流れてくる水の勢いにも衝撃を受けました。

ひしゃげた車が岩の上?土砂の上?にあって、それは、「埋まってたのをあそこまで掘ったんだよ~」と言っていました。

ありえない高さに車が投げ出されていたのです。それが埋まる。どれほどの量の土砂や岩が山から下りてきたのか。

一目みただけで、いかに酷い被害があったのか、よく分かる光景が、その集落には広がっていました。

 

午前中いっぱい、スタッフさんと一緒にボランティアをしている各場所を見て回ったり、集落の住民の方にボランティアのニーズを聞いて回りました。

ボランティアをされた方、みんな一生懸命です。

汗をかきながら、休憩も挟みつつ、でもみんなとにかく一生懸命でした。

県外から来てくれた方もいらっしゃいました。

同じA市から来た人もいれば、遠くから来た人もいるし、初めて会う人ばかりだったけど、皆が和気あいあいと話しながら作業していたのがとても印象に残りました。

 

スタッフさんと一緒に、住民の方とお話させてもらった時も沢山思うことがありました。

私が広島県内で、同じように豪雨災害の被害を受けた場所の人間だとわかると、

「大変だったでしょう。」と声をかけてくださったり、

「同じ広島の人が来てくれると、心強いね。」と言ってくださったり・・・

私がお手伝いが出来たらと思ってきているのに逆に励ましてもらったような気持ちになりました。

 

そして、広島の言葉で気持ちを語ってくださった方もいました。

「ここ(集落)にはもう住めんかもしれんのは分かっとんよ。でも、先祖代々守ってきた所じゃけぇ、捨てれんのよ。」

「家は仮設に入れる事になったけぇもうええんよ。たまぁに畑だけしに来れればええんよ。」

「ええ所なんよ。でも、こんな事になってしもうた・・・」

 

何と言葉をかけるのが正解だったのかは分かりません。

ただ、頷いたり、手を握る事しか出来ませんでした。

ボランティアに来る事を約束することは出来なかったけど、募金をしたり、ずっと思っています、という事だけ、伝えました。

 

 

集落の方たちは、ボランティアみんなにとても優しくしてくださり、ご飯を作ってもってきてくださったり、お菓子や飲み物を用意してくださったり・・・

そういった心遣いが有り難いなと思うのと同時に、私がお話を聞いた人の中には、

「ボランティアさんが来たら動かんといけんと思うけん、頑張りすぎて体調を崩した」

という方もいました。

ボランティアを呼びたい、でも来てもらったら一緒に頑張らなきゃいけない。だから呼べない。

そういった思いを持ち、葛藤している方もいらっしゃる事を、改めて知りました。

 

 

午後からは、とあるお家のお掃除をさせてもらいました。

家の後ろの山が崩れて1階が土砂で埋まってしまったお家でした。

私が行った時には、もう掃除は最終段階になっていて大まかな土砂は除かれていました。

それでも、家中が泥まみれなのです。

 

数人で、声をかけあいながら作業しました。

デッキブラシで磨いたり、たわしで汚れを落としたり、窓を洗ったり。

土砂の勢いで窓が外れてしまったのか、一部がぐにゃっと形が変わっていました。

私が洗った窓を、別の人がとんかちで整えて窓枠にはめる。

広いお家で、何枚も窓があったんですが時間が足りないくらいでした。

最後は中学生さんに手伝ってもらって何とか終わらせることが出来たのですが・・・

やりたい事を挙げていったらキリがないくらい、とにかく、やる事がまだまだ山積みという現場でした。

 

 

 

色々と考える事が沢山ありました。

もっと時間があればまだ何かできたかもしれないけど、限られた時間の中で、とにかく一生懸命お手伝いさせていただくしか無いのだな、と思いました。

自分は力不足だなというのも感じました。

何も出来なかったな・・・と反省する事ばかりでした。

でも、ボランティアに行けて本当に良かったなと思いました。

 

その後からは、行ける土日が雨になったりして機会を逃し、今は手術をして療養中なのでボランティアには行けず仕舞いになっています。

すごく反省です。

もっと早い段階で支援が出来たらな、と思いました。

次、もし私が行ける災害の現場があれば(できればそのような災害は起きて欲しくないですが)、今回の経験を活かしてボランティア活動をさせてもらおうと思います。

 

 

 

 

よみにくい文章で申し訳ありませんが、以上が、私がボランティアをさせていただいた記録です。

ボランティア中、沢山の人と話し、沢山の人から広島は支援をいただいているという事を実感しました。

 

Twitter上でのやり取りでも温かい言葉を頂いて、募金サイトの額を見てびっくりしたりして、

実際に県外からの応援の方ともお話させていただいて・・・

ありがたいです。

心から感謝します。

 

まだまだ、豪雨災害からは完全な復旧は出来ていません。

自宅から歩いて行ける所で、橋が曲がっていたり、土砂が落ちているところがありますので、普段通りの町を見れるのはいつになるのかなぁと思うのですが・・・

それでも、沢山の感謝の気持ちを持ちながら過ごしていこうと思います。

 

広島、良い所ですので。

遊びに来てくださいね。美味しいものもいっぱ~~~いあります。

こんなサイトも出来たようです。

hiroshima-welcome.jp

 

私の町も、割と最近は観光地化してきたのでトップ画面にアクセス情報が載っています!(笑)

もし来ていただけたらご案内しますので。

 

広島の良いところも沢山、知ってもらえたらいいなと思います。

沢山の人が遊びに来てくれるといいなぁ。

 

そう思いながら、今回の記事を終わらせていただきます。

次は先日のコンサートで使ったコスメの事とか書きたいです。それでは。

沢山の感謝と幸せを。

関ジャニ∞、GR8ESTツアーの9月16日公演に行って参りました。

 

まだフワフワしている感覚で、考えもまとまってないのですが、今書かないとずっと書けないだろうと思うので。

感想というか、思い?を書いて残そうと思います。

 

 

何度かブログに書いたのですが・・・私は、2か月前の豪雨災害で莫大な被害を受けた町に住んでいます。

そして、交通網の被害や職場が被災したことで、私は遠征に行くことが出来なくなってしまいました。

元々、応募していた公演すべてに落選し(これはこれで悲しかった)、同行させていただく予定だったのを、自分の事情でキャンセルさせていただくことになり、楽しみにしていたツアーに行く予定が白紙になってしまいました。

 

今だからこそ言える事なのですが、本当に羨ましかったです。

名古屋〇日間行ったとか、日替わりの映像はこうだとか、みんなが楽しんでいるのを見ながら、私は何をしているんだろうと。

羨ましいのと、あとは、そこに参加出来ていない事に寂しさがすごくありました。

行けないのにネタバレを回避していたので、ツアーの様子を全く知らないままでした。

それが寂しかった・・・

 

お優しい方に巡り会い、何とか彼らに会うことが出来ました。

すごく楽しくて、熱い現場でした。

楽しかった。

幸せでした。

 

 

 

災害のあった日からずっと、関ジャニ∞が心の支えでした。

バケツをひっくり返したような雨音をずっと聞いているとごはんが喉を通らず、食事がほとんど摂れませんでした。

特別警報とか非難情報の繰り上げとかがあり、もうこれはおかしい、どうしようという状況になってきて、両親に「とりあえず何か食っとけ」と言われ、じゃあ、と私が選んだのが冷凍庫にあった「チョコモナカジャンボ」でした。

笑われそうですけど、あの時は力がすごく出たのです。

関ジャニ∞のみんなの顔を思い浮かべながら、食べました。

早く会いたいな、無事に何事もなく過ぎますように、なんて思いながら食べて力を貰いました。

Mステは、泣きそうだから見れなかったんですけどね。

でも、脳内で、彼らに会う事を目標に、何とか夜を過ごそうと思っていました。

 

一夜あけ、変わってしまった広島を見ながら、それでも、「関ジャニ∞に早く会いたい」と思いました。

道路がぐちゃぐちゃで、沢山の人が亡くなって、自衛隊の人たちが助けに来てくれて、友人の家が壊されて、本当に、何度も何度も泣いてしまったんですが・・・

仕事も出来ず、交通機関もなくなった時に、家に籠って沈んでいる時に彼らの音楽を聴くと、すごく元気が貰えました。

時間が経っても、土砂崩れや浸水の跡を見て気持ちが落ち込む時もあったのですが、彼らの音楽のお陰で毎日元気に仕事に行けました。

 

行けないだろうか、何とか行きたい、でも、無理かもしれないという考えがずっとグルグル回っている時に、何とかお譲りしてもらう事が決まりました。

 

その翌日、再度、広島に大雨が降りました。

憎き停滞前線です。

私の町の川は再び氾濫しそうになり、交通機関もストップ、直っていた道も再度陥没したり、災害時までとはいかないものの、つらい状況になりました。

 

1週間前にそんな事になり、本当に福岡に行けるのだろうかと不安でたまらず、結局、福岡に発つその日も雨で、何とも言えない気持ちで広島を出発しました。

ヤフオクドームを見るまで、本当に参加できるのか不安で仕方なかったです。

楽しみではあったのですが、大丈夫なのかという不安の方が大きかったように思います。

ドームを見て、力が抜けました(笑)

ちゃんと来れた・・・とため息が出ました。

 

 

彼らが目の前に現れた瞬間。

この2か月、彼らに会いたいなぁと思い続けながら過ごしていた日々が、走馬燈のように駆け巡り(笑)、涙が止まらなくなりました。

会えた。そこにいる。歌が聞ける。

すごく幸せな瞬間でした。

 

そして、「ここにしかない景色」には、本当に泣かされました。

元々この歌が大好きだったのもあるんですが、故郷を歌うこの曲に、何回も何回も励まされ、「頑張ろう」と思いながら過ごしてきたので・・・

あまりの感動と嬉しさで、横山さんのうちわを保護するビニールが濡れるほど涙が溢れてしまいました(笑)

 

最初の2曲でボロボロになり、あとは記憶が抜けているところがほとんどなのですが・・・

それでもすごく温かくて、楽しかったです。

6人がそこにいて、歌ってる。

私にはそれだけですごく十分で、ありがたくて、幸せな事でした。

 

会いに行けるのは当たり前じゃないんだな、と思いました。

すごく有り難い事なのだな、と。

 

災害後通れなくなっていた道を代替輸送を使って新幹線駅に行きました。

でもそのバスを運行しているのは地元の会社じゃないんです。

遠くから来てくれているバス会社。

道を直すために力を貸してくれたのは自衛隊

今もまだ工事が続いている道路脇の土砂崩れ跡は、祝日の今日も多くの人が一生懸命工事をしていて、土が少しずつ減ってきています。

 

今回、私がライブ行けるよ~~~!ってツイートした時も、沢山の人に優しい言葉をかけていただけましたし、私とお会いしてくれた方々にも優しくしていただきました。

 

恵まれた環境にいられる事に、心から感謝します。

ありがとうございます。

幸せです。

 

 

ヤスくんが、ライブ中、「エイトについてこいよ。」って言ってくれたんですけど、これからもついていくよ~~~!って叫んで応えたかったくらい、感謝の気持ちで溢れています。

支えてくれてありがとう。

頑張ろうと思わせてくれてありがとう。

彼らに直接お礼を言えたらそれは嬉しい事ですけど、現実的には無理なので(笑)、ライブ中、精いっぱいの拍手で感謝を伝えました。

これからもよろしくお願いします。

大好き。

 

すごーく幸せな経験をさせてもらい、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

実は明日から、大学の時から抱えている怪我のため入院するのですが、何とかそれも踏ん張れそうです。

次のツアーまでにはひょいひょい歩けていると期待します。

あるよね?絶対行くよ。それまでリハビリ頑張るよ。

 

 

皆さんの日々が穏やかでありますよう。

つらい災害が続いた夏でした。

平成最後にこんな夏にしなくてもいいのにと思います。

どうか、幸せに過ごしてくださいね。

悲しい思いをすることが一つでも無くなりますように。

心から願っています。

雨が奪っていったもの~その後

お久し振りです。

 

前回の記事には、沢山の励ましのお声を頂きました。

dropblue0212.hatenablog.com

 

私のTwitterの方でも記事を共有させていただいたのですが、フォロワーさんだけでなくフォロワー外の方からもお優しいメッセージを頂けたり、私の記事を拡散してくださる方もいて、とても嬉しく感じました。

そして、「記事を読んで募金しました」というお声も頂きました。

支援をいただけた事、本当に感謝しております。

 

今回は、前回の記事からのその後・・・といいますか、あれからまた色々とあったので、それについて書かせてもらおうと思います。

あれから1カ月以上経ちました。

変わってしまった町の様子も見てきましたし、周りの人から沢山お話を聞きました。

平成30年7月豪雨」で被害を受けた場所が今、どうなっているか、お伝えします。

そして、もしこれを読んで「募金しようかな」とか「心配だな」とか「名産品食べて応援しよう」とか思っていただけたら・・・

心から嬉しく思います。

一人でも多くの方に届くことを願って。

 

また、前回と同じように、今回も災害での被害の事などを書きますので、読みたくないな、と思う方はここで戻ってくださいね。

 

 

 

 

 

前回記事を投稿したのが7月9日。

 

記事の中で、道路の寸断により物流がほぼストップし、市内からガソリンや食べ物が消えつつあると書きました。

災害後数日は、遠くから町に物を運んできてくれたトラックが帰れなくなり(国道や県道などのメインロードが通行出来なくなっていました)、スーパーなど量販店が周辺に多い道では、帰れなくなっていたトラックで溢れていました。

主にTwitterを中心に、どの道が通れてどの道が使えるのかという情報が回りはじめ、次第にトラックが列をなす光景は見なくなりました。

そして、毎日、少しずつですがスーパーに物が届くようになりました。

今日は牛乳がきた、今日はパンが届いたと、スーパーに行く度に母と喜びました。

 

一番に無くなったのはパンとかでしょうか。

カップ麺は災害後すぐはまだ十分にあったのですが、パンが無くなると次はカップ麺、そして冷凍食品、というかんじで、日ごとに物が減って行きました。

みんな考えることは同じだったと思います。

前日までは何とかあったものが次の日に行ったら全然無くなっている、という状態でした。

魚は獲れないし、お肉も減っていたので・・・簡単に調理できるものとか調理が不要なものから無くなるのだな、と改めて思いました。

国も、ヘリコプターだけでなく船を使って物資を輸送してくれていたようで、それに関しては海が近い町で起きた災害だからこそ出来た事だったのかな、と思います。

ガソリンを積んだ車も、船で向かわせたりしたようです。

私の家の車は、7月11日に災害後ようやく最初の給油が出来ました。

市内のケーブルテレビ会社がどこでガソリンの給油が出来るのかをずっと情報発信してくれていたお陰で、どこのスタンドにガソリンが入ったのかを知ることが出来ました。

親戚の所まで水や物資の救援に行けたのはその後です。

ガソリンが無くなると本当に動けなくなるのだな、と知りました。

 

 

そして、次はライフラインの事。

私の家がある地区は、停電も断水も免れました。

 

水道施設も何とか無事だったのと、あとは地下水が水源になっていた、という事が大きかったようです。

ですが、親戚や職場の同僚が多く住む地区は断水となってしまいました。

浸水が数メートルあった地区では施設自体が水没してしまい水を供給出来なくなったのですが、水源である川が豪雨の影響で濁り、水が確保出来なくなってしまうという事が起こりました。

 

今まで当たり前のように蛇口をひねり水を使っていました。

改めて、水のありがたさを知りました。

 

川の濁り(汚れとも言うべきでしょうか。)が酷いと、水道水を作れなくなるんですね。

ろ過して、消毒して、という水を作る流れは知っていたものの、水源から駄目になるという状況になるとは、全く予想していませんでした。

被害を捉えた空撮映像で川の濁り具合も見れたのですが、土色?というか、泥がとけた水のような、そんなかんじの色をしていました。

正確には覚えていないのですが、約1カ月後くらいに川の横を通った時にもまだ、少し濁っていたくらいだったので・・・

いかに流れてきた土砂が多かったのか、濁りがひどかったのか、ご想像いただけると思います。

川が流れつく海自体もごみが浮いたりして濁っていて、災害後しばらく漁船は通行出来にくくなっていた、と聞きました。

ひどい状態になっていたのだと思います。

 

私の職場は断水の影響で休みとなり、その断水も災害から1週間続きました。

そして、浸水がひどかった地区はそれ以上かかり、やっと、7月末に市内の断水は解消されました。

私の住む町の断水は8月に入ってすぐ解消。

水道の復旧に、他県から応援を呼んだり、海水をろ過出来る装置を持ってきたり、応急処置として水道管を作ったり、とにかく、水を届けるために懸命に動いてくれていたようです。

給水支援も勿論あり、自衛隊だけでなく海上保安庁、他県からの給水応援、同じ県内からの応援、本当に様々な人たちが水を持ってきてくれたり、助けに来てくれました。

断水が解消された時は職場のみんなで喜びました。

仕事が再開になってからも、毎日「今日断水が終わりました~」と職場の関係者が報告してくれるたび、「良かったね」「やっとだね」と喜びあいました。

水は大切。

それを実感しましたし、今もまだ職場は節水に努めています。

他県の話ですが、8月半ばまで断水していた場所もありましたし、これからも水は大切に使わせていただこうね、とみんなで話しました。

 

 

道路状況は、災害当初は本当にひどかったです。

テレビ画面の下に、「国道○○号●箇所通行止め」「県道○○号は●箇所」とテロップが流れてくるし、市の公式HPには市内の通行止めの箇所がリストアップされていて、その数には本当に驚きました。

Twitterで検索しますと被害状況が写真で紹介されていまして、土砂崩れで埋まっている道、陥没した道、道そのものが無くなってしまった所・・・被害の状況が写真を通して伝わって来て、これは一体どうしたらいいのだろう、と途方に暮れる瞬間がありました。

私の住む町で孤立した集落の方は、3日間集落の外に出ることが出来ずヘリコプターで物資が届くのを待ったそうです。

自衛隊はじめ、県外から道路を通れるようにしてくれるための業者の方々が沢山来て下さり、おおむね1週間くらいで何とか市外には出れるような状態になりました。

通れるようになるまで1カ月近くかかった道もありますし、それでも一部は崩落していたりします。

とりあえず道路の土砂を避けて車が通れるようにしたという、岩や木、土砂が歩道に山積みになっている道もあります。

まだ開通していない道もありますし、来年開通予定の道もあります。

 

通勤で車を使う人も多いし、大都市中心に通勤・通学時間帯の渋滞がまだ続いています。

使える道が限られていて、尚且つ交通機関が麻痺しているための渋滞です。

渋滞緩和のために新しく一車線増やしたり、災害時緊急輸送船という船で人を移動させるという手段も取られました。

ボランティアの方々の移動のためボランティア船も運航されたりしました。

災害により、今までにない状況が生まれています。

 

 

電車も、現時点ではまだ動いていません。

一時、バスも動いてない状態だったので、公共の交通機関がすべてストップしていました。

災害後何とかバスが動くようになり、電車で通っていた私は、バスを使う事で仕事に行くことが出来ました。

バス会社の方が、災害後、「必ず帰ってきます」という言葉をHPに上げていました。

ガソリンもまだ満足に供給出来るか分からない状況の中、災害時ダイヤという形での復旧でしたが、言葉通り数日でバスが動き始めました。

バス会社さんがバスを動かしてくれなかったら本当に職を失っていたかもしれないです。

すごく感謝しています。

 

電車の方は、広範囲でまだ止まっています。

被害の少なかったところはすぐに復旧出来て数日で電車を動かせるようになったのですが、それ以外の駅は長ければ年単位での復旧になるといわれています。

私の使う路線は、来年再開予定です。

駅が冠水したり土砂で埋まったりした所もあるし、線路やトンネルが埋まっているところもあります。

すぐには元通りには戻らなさそうだな、と、毎日土砂で埋まっている線路を眺めながら思っています。

電車の代替輸送は、道路状況の改善とともにゆっくりとですが始まり、最初は大都市の方から、そして今度は私が暮らす小さな町で・・・という流れで始まりました。

 

私の使う駅は、8月中旬から代替輸送が始まり、今はそれで仕事に行けています。

県内だけでなく、県外からも応援のバスが来てくれています。

遠くは何と、北海道から。

関西方面のバスも多く見ます。

それがどれだけ有難い事か・・・

慣れない道、代替輸送が始まる数日前から確認のためバスを走らせ、学校も始まりつつあるのでバスの本数も増やし電車の利用者を運んでくれています。

我儘を言える状況ではないんです。

心から感謝していますし、毎日感謝の思いでいっぱいになりながらバスを利用させてもらっています。

電車が一部区間動いた!というだけで広島の情報番組はニュースになります。

喜びの声が溢れます。

代行と電車の乗り継ぎで大変な思いをされている方もいるとは思うのですが、電車が動く音をしばらく聞けていない人間からすると、いつか私の使う電車も動くようになるんだろうという希望を持てています。

 

時間はかかると思いますが、日々感謝しつつ電車が動く日を待とうと思います。

 

 

 

記事を書いた翌日、10日。

前日に私の町に来てくれた自衛隊の方々の写真が、朝の新聞に載りました。

暑い中飲み物を飲みながら土砂をかく姿が映されていて、頭が下がる思いでした。

私の町で土石流により行方が分からなくなった方がいらして、その現場に行かれたようでした。

自衛隊の方々の応援もあり、その日のうちに行方不明の方が見つかりました。

 

最近は少し落ち着いてきましたが、災害後しばらくはずっと、連日新聞に新しいお名前が載っていました。

行方不明だったけど見つかった方のお名前、死亡が確認された方のお名前。

広島県内だと知っている場所ばかりで、「ここも被害がひどかったんだな・・・」とその度に胸が痛みました。

情報番組で、「豪雨災害 ○名死亡」などとテロップが出るんですが、連日その数が更新されていきました。

 

8月6日。

広島県にとっては、この日は原爆が落とされた日です。

そして、今年は、豪雨災害から1カ月、という日でありました。

新聞には、災害により犠牲になられた方々の顔写真とお名前、そしてご遺族やお知り合いの方のメッセージが数ページに渡り載りました。

何度も何度も読みました。

県内だけでなく岡山、愛媛、高知・・・その方々がいた町の名前とともに年齢や職業も載っていて、あの大雨で、本当に沢山の方々の命が奪われてしまったのだと改めて感じ、災害に対する悔しさと悲しみの気持ちでいっぱいになりました。

 

現時点で、災害で犠牲になられた方が200名以上いらっしゃいます。

ご冥福をお祈りするとともに、ご家族が一日も早く落ち着いた生活が出来ますよう、心から願っています。

 

行方不明の方も、まだいらっしゃいます。

現在も捜索が続けられています。

一日でも早く、ご家族の元に戻ることが出来るよう願っています。

 

 

 

そして、災害により精神的に傷ついた方も、沢山いらっしゃいます。

 

家を失った方、畑や自分の経営するお店を失った方。

友人、知人を失った方。

自分は被害に遭わずとも、知り合いが家を失ったり、職を失ってしまうかもしれない状況に、どう支えていけばいいか悩んでいる方。

 

そういう人たちが沢山います。

 

職場が再開になった日、職員みんな、休みの間にあった事を話していました。

みんな、今までこのような大規模な災害に遭遇した事がなく、戸惑いと深い悲しみと、言いようのない気持ちを抱えていたと思います。

時には涙を流す時もあり、溜めこんでいた思いをみんなで話し、共有しあいました。

 

職場も、浸水被害に遭いました。

基礎が低かったとある一部屋のみ浸かりました。

たった一部屋でも、職場のこの先の予定を変えなきゃいけなかったりするし、それに、浸水のための悪臭がもの凄いんです。

その部屋にいる事さえ困難になるくらい、今までに嗅いだことのないような匂いがしました。

家が浸水した人のつらさを想像すると、本当に胸が痛みます。

部屋を使えるようにするための工事を今か今かと待っているような状況です。

まだまだ先になりそうです。

 

 

職場の関係者にも、家を失った人が多くいます。

 

新築の家が被害にあった人もいます。

家族の写真など大切なものが流された人、1階は全部駄目になったから2階で暮らしている人。

高齢のためリフォームを諦め家を捨てる決意をした人もいます。

 

その人たちをどう支えていけばいいのか、みんな、初めての大きな災害に戸惑いつつ、自分が出来ることをしています。

 

水が迫ってくる中、救援のヘリコプターを待ち続ける。

土砂崩れから逃げる。

土砂で埋もれた家から命からがら逃げ出す。

外に出ると土砂崩れの影響でガスが漏れだし大火事になっている。

助けを求める声が聞こえたのに暗闇の中でその人がどこにいるか分からず、助けてあげられなかった。

 

私が聞いただけでも涙が出そうになるくらい苦しい状況を体験した人がいます。

他人事ではなく、私の町や、隣の市で起きた出来事です。

 

水が迫る様子を見たり、家が潰されている光景を見て、町に住む子どもたちは怯え、雨が怖くなったと聞きました。

 

災害に遭い傷ついた心のケアが、求められています。

そういったケアに関しての勉強会が開催されていますし、ケアをしていく職員たちにもストレスチェックをして心の状態を知りなさいという通達がありました。

 

私の住んでいる町だけではなく、職場がある町、その隣の市、本当に沢山の、書ききれないくらいの被害がありました。

この1カ月半、ずっと、災害によって変わった広島の町を見てきました。

 

浸水で住めなくなったお家も沢山あります。

家具を外に出し、床を剥がし、見るも無残な姿になってしまった家の姿を見ていると、水の恐ろしさを感じます。

災害置き場に山積みにされた災害ごみ。

当初は、指定場所だけでは足りず別の場所も追加される事になったくらいゴミで溢れていました。

私の知る小学校は、災害ごみ置き場になりました。

歩いてすぐの公園も、土砂の堆積場に変わりました。

 

土砂で押しつぶされた家も、沢山たくさんあります。

元々家があった場所に、もっと上の方にあった筈の家が土石流で流されてきていて、自分の家は遥か向こうまで流されていた、という話も聞きました。

私の町の土砂崩れ現場を見たのですが、山から流れ落ちてきた土砂が民家を数軒押しつぶすだけでなくその下の道路まで流れ、2車線の道路を挟んだ先の民家まで到達し、そこのお家のガレージがねじ曲がっていました。

土砂崩れの威力に、恐怖を感じました。

 

避難者は減りつつありますが、決して元の生活に戻れるようになったわけではないのです。

1階のみ浸水とか、自宅の一部のみ壊れたとか、そういう方々は使えるところだけ使い暮らしています。

家を捨てることとなり、別の市の親戚を頼って暮らしている方もいますし、県や市が提供してくれた公営住宅に入れた方はそこに入る事が出来たし、抽選だったため漏れた方は仮設住宅の完成を待ち望んでいます。

 

歩いて行ける距離のところに、土砂崩れで家が押しつぶされた地区があります。

ボロボロに壊れた家だったものの残骸がそこにはあります。

濁流によって曲がってしまった橋や、陥没した道路、崩れかかっている道路があります。

駅には電車が止まったまま。

沢山のものが、あの日のままになっています。

 

 

 

親戚や職場の人と話したのですが、「こんな事になるとは思わなかった」と、皆、口ぐちに言うのです。

「今までここは浸水被害に遭ったことがない」とお年寄りが言う地区が浸水し、「ここが土砂崩れになるとは」という所に、大規模な土砂災害が起きました。

土砂災害が起こりうる所は、砂防ダムや、簡易的なものなら柵とか、何らかの対策が講じてあったのです。

でも、その砂防ダムの上から土砂が流れ落ち、住宅を押しつぶしました。ダム自体が破壊された箇所もあります。

簡易的な対策なんか無意味に近く、柵なんか土砂災害のスピードに勝てるわけもなかったのです。

「ここが崩れるのか」「あそこが崩れてしまったのか」という所ばかりなのです。

川の氾濫だって、ウン十年前に一度氾濫した時に駄目だったとある地区は今回も氾濫し被害をもたらしたのですが、誰も予想していなかった箇所で突如として川が氾濫し、そしてダムからの放流も重なり、大量の水が住宅に流れ込みました。

 

今回の災害で「今までは大丈夫だったから、今回も大丈夫」は決して思ってはならない事なのだと知りました。

広島では、7月末の台風でも避難勧告が出され、気象の警報が出ただけで町にサイレンが鳴り響きました。

みんな、あれからずっと大雨を警戒しています。

 

台風が近づいていますし、大規模な災害になるかもしれない、との予想が出ています。

どうか、これを読んでくださった方も、気をつけてください。

予想を超えた災害が起こりうるのだと、身に染みて実感しました。

「大丈夫だろう」と思わず、どうか、ハザードマップを確認したり、避難所を確認してください。

これ以上、同じような状況になって欲しくありません。

あんな気持ちをする人は、一人でも少ない方が良いんです。

 

 

災害当時やその数日後を思い出すと、とにかく沢山涙が出そうなことがあったり、しんどかったなと思うのですが、それと同時に沢山の感謝の気持ちを感じました。

 

自衛隊の車が町に着いた日はずっと忘れません。

外出した際、土砂崩れが多発している町を見かけ気落ちしている時、「災害派遣」の文字を掲げた自衛隊の方々の車とすれ違うのです。どんなに心強かったか。

災害後、毎日早朝からパトロールしてくれた警察の方や、台風など大雨が予想される際はすぐに動いてくれる消防団

 色々な人たちに守られている事を実感しました。

あの大雨の夜、川の氾濫が起きないかずっと見張ってくれた市の人には感謝しています。

避難することを躊躇う程の大雨の中、轟音をたてて流れる川を見張るなんて事、誰が出来るんでしょうか。

 

物を買える事も当たり前ではない状況の中でもスーパーはちゃんと開けて買い物させてくれるし、食べ物やガソリンを積んだトラックが町に戻ってきてくれたのを見ることが出来た時は本当に嬉しかったです。

 

私がTwitterで毎日、「つらい」だの「怖い」だの呟くのを、見守ってくれたフォロワーさんや、言葉をかけてくださった方々にも、感謝の気持ちでいっぱいです。

話し相手になってくださる方がいなかったら、きっともっと泣いていたでしょう。

 

 

そして、私の町や県などに、ありがたい事に沢山の義援金が届いています。

義援金も、被害を受けた人に支給され始めています。

沢山の支援をいただけたお陰で、つらい状況にある人が生活を立て直すための第一歩を踏み出せようとしています。

 

しかし、まだ、元通りの生活には戻れていません。

何度も申し上げるのですが、壊れた道・橋がまだまだ山のようにあるのです。

土砂崩れがそのままになっている箇所も山のようにあるんです。山の一部が欠けたかのようになっていて、そのままなんです。

川は、濁流によって流されてきた流木やゴミがまだ残っています。

 

山あいに住む子は、山から流れてきた岩や木、土砂が歩道に積み上げられた道を通り学校に通います。

大規模な土砂崩れが起きたすぐ横にある民家の方は、積み重なった土砂のすぐ横の物干しざおに洗濯を干しています。

濁流によって橋がねじ曲がり、車が通行出来なくなった橋を歩くことでしかたどり着けない集落に住まわれている方がいます。

 

1か月半たってもそのような状況で、まだまだ支援が必要とされています。

今でも十分に支援をしていただけているとは思うのですが、どうか、今後もお力を貸してください。

 

大切なお金です。

おつりが1円できたとか、買い物でポイント溜まったから募金するとか、ご負担にならないような形で、どうか西日本の被災地を助けてください。

私も募金を定期的にしています。どうか、宜しくお願いします。

 

※ポイントで募金出来るサイトを貼らせていただきます。

donation.yahoo.co.jp

 

corp.rakuten.co.jp

 

official-blog.line.me

 

支援を貰えている事、本当に感謝します。

温かい言葉も、沢山たくさん、ありがとうございます。

 

今は「被災地」となっている広島ですが、楽しいところ、美味しいものも沢山あるのです。

交通状況がまだまだ悪く、代替輸送とかが中心になっていますので、中々「おいでよ!」とは無責任に言えないのですが・・・

もし町で広島のものを見かけたら手に取ってやってください。

柑橘だけでなく牡蠣やアナゴなどの海鮮も美味しいんですよ。他にもたくさん名産品があります。

こんな素敵な記事を見つけたのでシェアさせていただきます

toyokeizai.net

 東京観光の際に、是非ともアンテナショップで素敵な名産品と出会ってくだされば嬉しいです。

 

広島は、良いところなんです。

いつか、人が沢山来て、「楽しかったな」「広島また来たいな」といっぱい言ってもらえる広島に戻る日が来たらいいと思います。

それまで、自分が出来ることをし続けようと思います。

 

ただただ感情の赴くままに書いてしまいましたが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。

一人でも多くの人に、被災地の現状が伝わる事を願っています。

ありがとうございました。

雨が奪っていったもの

 

私の住む町が、今回の酷い豪雨で壊されてしまった。

道路も線路も家も。

むちゃくちゃだ。

 

信じられない量の雨だった。

今もまだ、実感が湧いていない。

なんでこうなったのだろう、と思ってしまっている。

 

 

こういう事を書いていることは、もしかしたらおかしいと言われてしまうかもしれないけれど、自分が書いて現状を伝えたい、と思いました。

現在進行形で何が起きているのかを少しでも伝えることで、何かに繋がるのではないかと。

今も沢山の支援を貰っていることは、私だけでなく、家族も、そして友人たちも実感しています。

ありがとうございます。

ただこれから先、壊れた町が元通りになる過程で、どうしても誰かの助けを借りないといけないとも思います。

どうか、お力を貸してください。

そのために、この記事を書いています。

 

被災地の映像がテレビで流れていることで、心を痛めている方も沢山いらっしゃると思います。

この先、私の町で起きていることを書いた文章で傷つかれる方もいるかもしれない。

申し訳ありませんが、今は読みたくないと思ったらどうかスルーしてくだされば助かります。

 

※沢山の人に読んでいただければと思い、「ジャニーズ」のグループで記事が反映されるようにしています。ご了承ください。

 

 

 

 

私の住む町は、広島県の南部の、小さな町です。

すぐそばに海、そして山。市内を流れる穏やかな川。

みんな広島弁全開でしゃべるけど、のんびりとした良いところです。

殆ど災害に遭った事がなく、母いわく、昔とある教師から「この町は災害に遭わんからこんなにボケ(呑気者)が多いんじゃ」と言われたほどの、のどかな田舎町でした。

そんな町が、大雨で大変な事になってしまいました。

 

 

7月6日。

前日から続く雨で、私の使う電車は朝から運休。

用事があるという父に、隣の市にある職場まで車で送ってもらいました。

 

6日の朝の時点で川の水量はかなり上がっていました。

その川の横を通り過ぎながら、「水の量すごいね~」と父と話しました。

「これ、氾濫したりせんよね?」

という私に、

「そこまで降らんのんじゃない?」

と父は言いました。

 

日中もずっと降り続ける雨。

夕方から、時折バケツの水をひっくり返したような猛烈な雨が降る時間帯が増えてきました。

ふとスマホで天気をみると、私の町が「避難準備」になっていました。

これはもしかして普通じゃない?と思い始め、翌日の仕事の算段をつけてから職場を後にしました。

この時点で、職場がある町の方では「避難準備」は出ておらず、職員たちに「気を付けてね」と沢山言ってもらいました。

今は、私にそう声をかけてくれた職員のみんなの方が、大変な状況にあります。

 

 

電車はやはり動かず、帰りはバス。バスで自宅に帰っている時の雨は、更にひどくなっていました。

帰り道でも、川が増水しているのを見ました。

低い地域ではすでに水が溢れそうになっている様子が分りました。

バスに乗っている間中、いつ止むのだろう、これで止まなかったら氾濫するのだろうかと、不安で仕方ありませんでした。

私の町ではこの時点で土砂崩れが発生した場所があり、バスは迂回したりして、何とか最寄り駅にたどり着きました。

 

 

そして夜。

「避難勧告」が出ました。「大雨特別警報」も。

町の防災無線が鳴り響いたり、テレビでは気象庁の人が会見したりして、ただ事ではない、と慌てて大事な物をバッグに詰めました。

看護師の免許証と、通帳と、財布と。非常食も1つあったのでそれを詰めました。

 

一番近くの避難所は、川のすぐ横にありました。

川の横と言っても、川が一番高くてそれより低い場所です。

家族と話して、そこに腰を落ち着けたとしても川が溢れたら一番に浸かるかもしれない、だから逃げるなら車で少し出た別の避難所にしよう、そこなら恐らく大丈夫だろう、と。

今の内にとお風呂を済ませ、その後はずっと、テレビで川の水位の経過や、雨雲レーダーを見続けていました。

 

母がお風呂に入っている途中、「避難指示」が出ました。

防災無線で「避難指示」が伝えられたようですが、雨音が凄すぎて全く内容が聞こえず、テレビでも情報は更新されていなくて半信半疑のところで、30分くらい経って、ようやく市町村の公式Twitterで「避難指示」が町全域に出されたことを知りました。

 

「避難しようよ!」と私が言うと、父親は、

「今避難しとったら逆に危ないかもしれん。夜じゃし、パニックになる」と言いました。

 

実際、私の近所では大声で叫ぶ人や、車が動き出す音が沢山して、恐らく街中は渋滞が発生していたろうと思います。

災害に遭う事も殆どなく、みんな「避難指示」になり驚いたのだと思います。

私たち家族も、まさか「避難指示」になるとは思っていませんでした。

認識が甘かったのだと、思います。

渋滞しているかもしれないなら歩きです。

田舎なので歩道がない所もあり、土砂降りの中その道を歩いて避難するのは怖くて出来ませんでした。

父は、救命胴着を家族分持っているから、近くの川の水位を見つつ自宅にいよう、と言いました。

 

とりあえず常に誰かがテレビをチェックしよう、という事で、私から順番に寝ました。

データ放送を見たり、家の周りを見ながら自宅待機を続けました。

 

7月7日の4時。

いつの間にか眠っていて、猛烈な雨の音で起きました。

驚くくらいの雨の音で、一体どうなっているんだろうと怖くなり、慌てて窓の外を見ました。

家の前に置いてあった車のタイヤが浸かっていて、家の前の方まで水の量が上がっているのが分かりました。

「これやばいかも・・・」

と母親とブルブル震えていると、テレビにかじりついていた父親が、

「隣の●●市の○○川が氾濫した」と言いました。

 

前日の朝に、すぐ横を車で走った川です。

私の職場の関係者も、その川沿いに多く住んでいます。

足がすくむようでした。

 

怖くてしょうがなく、Twitterを見て、もっと恐怖でいっぱいになりました。

私の町で、行方不明の人がいるというニュース。

職場がある町の一部地域がまるごと水に浸かっている写真。

見覚えのある建物の、屋根しか見えませんでした。

 

衝撃的でした。

雨はその後、少し弱まり、私の家の周りの水もじょじょに下がっていきました。

やっと落ち着き、何か食べなければとごはんを食べたのですが、全く味がしませんでした。

 

報道番組は、すべて災害の事。

テレビで映る映像は、どれも知る場所ばかり。

私の家から車で20分とかからないような場所からの救助要請がTwitterで沢山回っていました。

でも、そこに行くことが出来ないのです。道路が寸断されているという情報があり、知った場所なのにそこにたどり着けないのです。

そして、Twitterでは私の町がぐちゃぐちゃになっている画像も、沢山回っていました。

 

道路2車線が土砂で埋まった写真。

大量の川の水で、削られてしまって1車線しか無くなってしまった道。

木が倒れふさがれた道。

ついこの間、母と買い物へ行くのにその道を通ったばかりでした。

 

今はもう亡くなった祖母と一緒に行った記憶のある海水浴場の近くの道も、

家族で桜を植えたり、何度もバレーの大会で足を運んだ公園も、

小学校の友達と歩いた道も、家族で行った温泉も。

 

色々な思い出のある場所が、大雨で壊されてしまいました。

 

 

私の家は、無事でした。

それがどれだけ有り難い事か、身に染みて実感しています。

でも、同じ町の中や、職場のある町、職場の人たち、沢山の人が困難な生活を強いられています。

 

私の町の現状。

山あいの地域や、川の近くの住宅や道路が大きな被害を受けました。

土砂や流木が家を押し潰したり、道路が崩壊したり、土砂で埋まってしまった道もあります。犠牲になった方もいらっしゃいます。

他県からの救援により道路状況は改善に向かっていますが、まだ通行止めの区間や、手をつけられず復旧に時間を要すところもあります。

今もライフラインが途絶えた所が多くあります。

孤立集落があり、ヘリコプターによる物資の輸送も始まり、今日(9日)は午後からヘリコプターの音がずっと聞こえていました。

川の水は常時に比べてまだ流れが早く、土色です。流木やごみのようなものが流れています。

水位もまだ下がりきっておらず、氾濫を警戒しなければならない地域があります。

他市町村とをつなぐ道路が寸断されているため(通れる道もあるようですが、地元民しか知らない山道だったりします。)、スーパーでは、日に日に物が無くなっています。

道路事情で、市内へガソリンが供給できなくなっています。

ガソリンの確保が難しく、両隣の別市町村も壊滅的な被害を受けているため、確保する場所を見つけることが困難な状態です。

 

隣の市では、川が氾濫しその周辺地区に莫大な被害をもたらしました。

地区まるごと、水に浸かってしまった所があります。

水道施設が水没する程の雨量で、川も濁りきり綺麗な水が作れなくなっており、市内中心部でさえ水の確保が出来ていない状況です。

自衛隊による給水が始まっていますが、みんな水を確保するのに必死です。

テレビでは、ずっと給水場所を伝えています。

スーパーは、私の町以上に物がない、という事です。ひどい混乱状況の中にあります。

 

私の町からフェリーで行ける島では、100か所以上で土砂崩れ。

私がいつも使っている電車や、山あいを走る方の路線では、土砂で線路が埋まっているところや、酷い所だと線路そのものが流されたり崩落してしまった所があります。

広範囲にわたり、電車が止まっています。

JRで貨物が送れなくなるので、今後色々なものが広島に入ってこなくなると思います。

私の使う路線の代行輸送の目途は立っていません。

数年前も台風による土砂崩れで半月止まっていたことがあり、その時に代行輸送をしてくれたバス会社のある地域も、壊滅的な被害を受けています。

恐らく、数か月は止まったままだろうと思います。

高速道路は、広島市尾道区間で止まっています。他の地域でも通行止めが発生しています。

少しずつ改善されていく予定だそうですが・・・

大量の土砂が流入し2車線とも埋まっているところや、土や泥、石や木など、障害物が高速をふさいでいる箇所が沢山あります。

 

ここには書ききれないほど、沢山の被害がでています。

私の住む広島県だけでなく、他の地域でも甚大な被害が出ています。

いずれも本当に、復旧までには時間がかかると予測されています。

命を落とされた方も、涙が出るほど沢山いらっしゃいます。いまだ行方が分からない方もいます。

ずっと、画面上で、各市町村の現況が伝えられ続けています。

酷い状況になっています。

 

 

今日、私の町に自衛隊の大規模な部隊が到着しているのを見ました。

昨日は山陰地方から重機を載せた車が到着していました。愛知から電気関係の人も来てくれているようで、スーパーで遭遇しました。

様々な支援をいただいているという事を、本当に実感しています。

 

ですが、この先も、町が元通りになるには沢山の時間を要すると思います。

おこがましいですが、どうかこの先も見守っていただき、支援を頂ければ・・・と願っています。

 

ポイントで募金出来たりするサイトもあるようなので。

ご負担にならない程度で、どうかご支援を宜しくお願いします。

donation.yahoo.co.jp

 

corp.rakuten.co.jp

 

マイルで支援が出来るという事を、JALでは10日(火)から実施してくれるようです。

press.jal.co.jp

 

LINEでも、ポイントで募金出来るようです。

official-blog.line.me

 

私も少ないながら募金させていただきました。

どうか、宜しくお願いします。

 

テレビでは、淡々と被害が伝えられています。

私の知る地域ばかり。

どうして、何故という気持ちでいっぱいです。

 

 

 

週末のTwitterの私のTLでは、関ジャニ∞が生放送で歌う、ということですごく賑わっていて。

「ミュージックデイ」もみたかった。

でも、私の地域では大好きなジャニーズのみんなが歌っている横の画面に、「広島県に甚大被害」という文字が大きく表示されていました。

その言葉の重みを、つらさを感じ、どうしても番組を観ることが出来ませんでした。

関ジャムも。

見れなかった。

夜になると、大雨の音を思い出したり、これから先の事を考えてしまい中々眠れなくなってしまっています。

 

でも、皆さんの呟きを拝見していてとても救われました。

この先どうなるんだろう、と悩んでしまう時とか、酷い被害を受けた町の映像や画像で苦しい時に、関ジャニ∞のみんなのカッコイイ写真を見ると嬉しくなったし、

ごはん食べたり、お仕事に行ったり、フォロワーさんが普通の生活が送れていることに、本当に安心しました。

温かい言葉も沢山かけてもらいました。

何も出来ない、と言ってくださる方もいたけど、私にとっては本当に心強かったです。

ありがとうございました。

 

きっと、私が毎日色々と思いを吐露することで、被災地の現状を知って傷ついた方もいらっしゃると思うのです。

このブログを読んだ方にも。

申し訳なく思っていますが、自分だけでは抱えきれないものが沢山あって・・・どうか、許してくださいね。

 

そして、どうか、ふつうの生活を、楽しい生活を送ってください。

余裕があった時に、こちらに目を向けてくだされば嬉しいです。

その中で、少しでもいいので支援をしてくだされば、ありがたいです。

 

 ここまで書いた今もまだ、よくわからないし、信じられないでいます。

今週は、職場の楽しみにしている行事で踊ったり歌ったりする筈でした。

それも今は開催出来るかどうか分かりません。

水が出ません。

みんなでカレーを作って食べたかった。

防災の研修がつい先日あったばかりでした。資料を読みながら、「一つの地方に集中して雨が降る現象」が起きていると、学んだばかりでした。

現実になるなんて、あの時は全く思っていませんでした。

 

私以上につらい思いをしている方がいらっしゃると思うし、私なんぞに何が出来るのだろうと思ってしまうのですが、一つでも何か出来ることを見つけ、これからも町のために行動し続けたいと思います。

これを読んだジャニオタさんの方で、同じように豪雨による災害を受けた方がいらっしゃって、もし、抱えていらっしゃる思いがありましたら、非公開コメントでもいいし、Twitterの方のDMでもいいので、是非お話してくだされば嬉しいです。

しんどい事は分け合って半分にしましょう。

広島や被害を受けた地域が元気になれるまで、時間はかかると思うのですが、共に歩んでいけたらと思います。

 

ようやく、晴れの日が来ました。

安心するのと同時に、これからの暑さに心配になります。

出来る事をします。

皆さんの生活が穏やかなものであるよう、願っています。

それでは、失礼します。

心の中の、温かい場所

 14日の夜、元SMAPファンの親友からLINEがきました。

「すばるくん、大丈夫?」と。

某週刊誌の記事がネットニュースに流れていたのでそれを読んだのでしょう。

そう送ってきた友人に、

「辞めるという事に、一番信ぴょう性が無い人だと思う。」と私は返しました。

すばるくんがメンバーの事を思う言葉を聞くたびに、優しい人だなとずっと思っていて、一番辞めない、辞める事は無いだろうなと思っていたので。

某週刊誌の記事(今は嫌悪感があり、名前を書くことさえ嫌です。)の内容を見て、鼻で笑ってしまっていたのです。私は。

取ってつけたような理由、くだらない、と。

友人に、「紙面の無駄」とさえ言いました。

 

本当に、すべて虚偽だろうと思っていたのです。

記事も、ジャニーズを辞めるという事も。

 

 

そして15日。

普通に、何気ない日曜日を迎えました。

朝の9時台にFC会員宛てに来ていたメールを、マナーモードにしていた為気づけず、私が「すばるくんがジャニーズを辞めてしまう」という事実に気付いたのは、12時も半ばを過ぎてからのことでした。

毎週の楽しみであるニチアサからの、前日に放送があった特番を流し、ご飯を食べ、さて次は何を見ようかな、その前にTwitterのTLを追っておくか~~なんていう、気軽な気持ちでスマホを操作してTwitterのアプリを起動させました。

そして、自分のTLがエイターの皆さまの悲しみと戸惑いで溢れていることに気付きました。

「すばるくん」「なんで」「悲しい」「つらい」

一瞬で把握しました。

理由は何にせよ、某週刊誌の記事の「辞めてしまう」という事が本当だったのだと。

 

 

TLを追いながら、皆さんの思いを読みました。

読みながら、「そうか、そうか・・・」と呟いている自分がいました。

いや、言い聞かせていたのだと思います。

納得しなきゃ、理由を読み取らなきゃ、と。

とにかく、Twitterを読み続けました。

1時間くらいは、ずっと追っていたと思います。こういう時の時間て、信じられないくらい早く過ぎていくんですね。

時計を見たら気づいたら14時近くになっていました。

そして、そこでメールに気付いたのです。発表になる11時より前に、ファン向けに送られたメールに。

私の携帯がメールを受信したのは9:35。

エイターの皆さんも同じくらいの時間にそのメールを受信していたのですよね?

11時になるまで、どれだけつらい時間を過ごされた事でしょう。

エイトの皆もそう。

11時にはファンに分かってしまう。それまでの時間、どう過ごしていたのだろう。

私、ふつうにニチアサを見て「ルパンブルーかっこいい!」とか思っていたのですよ。

特番見ながら「京都行きたいな~」とか言っていたんですよ。

知らぬ間に、状況が大きく変わっていたのだと思うと・・・

 

ログインする時、怖かった。

こういう時に、手は震えてしまうのだな、と。他人行儀的に思いました。

震える手でFCサイトにアクセスし、彼らの言葉を読みました。

 

TLを読んで事実を把握し、TLを追っている時も涙は全く出ませんでした。

どこか現実味がなかったのでしょう。

マスコミをも巻き込んだ盛大なドッキリかと思ってしまったくらいです。

「なーんちゃってー!」と、いつものように笑ってくれる7人が浮かんでしまうくらいには信じたくなかった。

でも、文章を読むと、堪えることが出来ないものがありました。

泣いてしまいました。

 

簡単に書けるものでは無かったでしょう。

すごく時間のかかったものだと思うし、書いている間、どんな思いを抱えていたのか。

きっと彼らの事だから、これを読み、涙を流すファンの事も思いながら書いていたのでしょう。

そう思うと、どうしようもなく泣けてきました。

 

 

すばるくんの決断。

大好きな場所から離れて、自らを叱咤して旅立とうとする彼を、すごくかっこいいと思う。

応援したい。大好き。

6人になる関ジャニ∞のみんなも。

大好きで堪らないから、応援したい。

 

そう思っている自分もいます。

でもこれは、もうすぐ30歳を迎えようとする女の、見栄です。建前です。

本音を申しますと、非常に寂しくて溜まりません。

次、ドームに立つ彼らを見る時には、すばるくんは居ないのですよね?

え、意味分かんないんですけど・・・

OP映像で、すばるくんが登場して「きゃー!」と色めき立つことも、7人の姿をこの目で捉えて「始まるんだ~~!」と喜ぶことも。

現段階の発表だと、もう無いのですよね?

関ジャニ∞のすばるくん」は7月14日で終わってしまうということなんですか?

想像したら、すごく、虚無感に襲われます。

信じたくないし。

待って、行かないで、って思う。

7人が好き。7人でいて欲しかった。

歌を聴きたい。

すばるくんの声が聴きたいよ。

神様。

私、毎日仕事場であなたにお祈りしているんですけど。

何で願いを叶えてくれないんですか。

 

 

でも、涙は出ない。思考が追い付かないのです。

 

 

現実を受け止めろというお叱りが飛んでくるかもしれませんが、受け止めたものを消化できるかはまた違うのかもしれません。

私にはまだ、事実を消化できる気がしませんし、これからの関ジャニ∞を楽しみに思う気持ちは沸かない。

いや、楽しみに思う気持ちもあるとは思うんですけど、それが奥底にあるかんじです。

今はひたすら、寂しい。

心が見えるのであれば、きっと大きな穴が開いていることでしょう。

そこからどんどんと、出ていくものがあります。

いつか閉じるのかもしれませんが、まだもうしばらく、時間がかかりそうです。

 

 

 

 

ここにも何度か書いたと思うのですが、私は以前、とあるグループが大好きでした。

その人たちは、私がちょうど20代に差し掛かる頃、毎日の看護の勉強の中で疲弊している私を、励ましてくれる存在であった人たちでした。

でも、彼らはとある時期を境に活動を休止しました。

そして、とある時、驚くべき知らせをファンに伝えてきました。

メンバーの一人が、半年前に脱退していた、というものです。

 

関ジャニ∞のようにドームに人を呼べるようなグループではありませんでした。

ライブをするにも、小さい箱です。

ファンの顔の多くも、見知った人ばかり。

比べるなよ、と言われそうですが、私にとっては本当に大切な人たちでした。

 

脱退したメンバーからの最後のアクションは、文章のみ。

半年前に居なくなった人からの報告です。

もう一度会いたくても、姿が見たくてもそれは叶うことが無く、文章のみでその事実が伝えられました。

ファンは、半年間、何も知らないでいたのです。

 

ファン数も違うし、状況も違うし、同じだとは言えない。

でも、あの時の悲しみといったら・・・

今でも覚えています。

 

また誰かを見送る事になろうとは、思っていなかった。

会いに行きたくても、突然終わりがやってくる事も、

会えなくなってしまう事も、

だからこそ、会いに行ける機会を大切にする事も。

全部知っていたし、メンバーの一人が突然いなくなってしまうという悲しみも知ってはいました。

でも、二度目でもつらいのは変わらないんだな、と思います。

 

あの時より、年を取ったんですけどね。

根本は、変わらないですね。

あの時も泣いたしつらかったけど、今も同じ。つらい。

 

 

 

1日経ち、いつも通りの月曜日を迎えました。

涙は、出ません。

FC宛てのメンバーの言葉を見た時に泣いたのを最後に、全く涙が出ません。

薄情者と言われてしまいそうなのですが、本当に涙の一つ、出ません。

 

お恥ずかしながら、私は、恐らく皆さんより熱量が低いファンでした。

メンバーそれぞれのレギュラーラジオも、眠たいから聴いていなかった。

レギュラー番組も、リアルタイムで追っているのは殆どなく、ほぼ録画でした。

それも、数週間遅れてチェックする事もありました。

ジャムのDVDも、ゆっくり見ていってたんです。まだ全編観れてさえいませんでした。

テレビ誌はじめ、雑誌のチェックも殆ど出来ていませんでした。

 

自分の中で、以前好きだったグループの活動休止・メンバー脱退という事実がどうしても消えなくて、

思い入れを強くする事を避けていました。

でも、皆さんと同じように、彼らの事が大好きでした。

好きで仕方ありませんでした。

 

仕事関係の事で色々とあり、しんどかった私を、元気づけてくれたのは、関ジャニ∞の7人です。

感謝の気持ちでいっぱいなのです。

ずっと。

 

私が以前、ここに書いた彼らへの思い。

読み返したのですが、全く変わっていない。

 

 

関ジャニ∞の皆さんへ。

 

私に、元気をくれて、笑顔をくれて、ありがとうございます。

 またコンサート行きたい、そのためにも毎日頑張ろう!と思わせてくれて。

優しくて、賢くて、私に沢山のものを教えてくれるエイターの皆さんに出会わせてくれて。

 今まで見たことが無かった鮮やかな色の世界を見せてくれて。

 沢山の幸せをくれて。

 

本当にありがとう。

 

 熱心なファンとまではいきませんが、これからも応援させてください。

 貴方たちの音楽があれば、笑顔があれば、きっと私はこれからも、自分なりに明るく、楽しく生きていけると思います。

 だからどうか、7人には温かい場所で笑っていて欲しいな、と思います。

 

優しくて不器用な彼らが、少しでも多く、笑顔でいられる時間を過ごせるよう、願います。

 

 

 

 ほぼ1年前の私が書いた言葉です。

この時から気持ちは変わらず、そのままです。

ずっと応援させてほしかったよ・・・7人を。

 

私にとって関ジャニ∞は、「心の中にある、温かいもの」でした。

彼らが居ないと生きていけない!とか、生きていく糧とか、そういうかんじでは無くて、

すぐそこに居てくれるように感じる人たちでした。

 

彼らの事を考えると、温かい気持ちになれた。

家族でもないし親友でも無いのに。

私の事を知らない人たちなのに。

7人の事を考えると、すごく温かい気持になれたんです。

 

仕事で疲れたな~とか、今日はもう無理だな~とか、ネガティブな気持ちになった時に、彼らの事を考えると、今までの暗い気持が嘘のように吹き飛んでしまう事が何度もありました。

楽しいな、嬉しいなというポジティブな時でも、彼らの笑顔を見ると、気持ちが更に上がるのです。

 

不思議な事です。

人生で、そういう存在に出会えてる事、幸せなんだろうな、と思います。

 

だからこそ、今は、その「温かいもの」の一つが失われているような感覚です。

私の心の中にある、7人の大切な人たち。

時期がくると、その大切な一人と、さよならしなきゃいけないんですかね・・・

そんなの嫌だな。

寂しすぎる。

 

すばるくん。

貴方の歌は、「いのち」です。

言葉に魂が籠り、唯一無二の輝きを放つ声です。

もっと聴きたかったです。

すばるくんの歌を。関ジャニ∞としてのすばるくんの歌を。

 

大好きで、大切な場所から離れていく決断をしたすばるくんを、私は嫌いにはなれません。

嫌い、好きという言葉で区別したくない・・・

なんというか、大切で、心の一部みたいな存在だったのです。

すばるくん。

ずっとあなたの事が、大切です。

これからもずっと。

 

 

すばるくんと、6人の気持ちや身体が、心配。

まだ無理かもしれないけれども、いつか、ずっと先でもいいから、必ず、7人がいっぱい笑える日がくることを願います。

むしろそんな日が早く来て。

横山さんの涙を見ると、私の心臓は血が流れるかのように痛くなります。

怖くてテレビが見れません。

某週刊誌さんには恨みしか無いので廃刊になって欲しいくらいです。

4月10日から、発表出来る15日までの間、週刊誌にファンが踊らされているのを見ていたかもしれない。

週刊誌さんのせいで要らぬ詮索を受けたかもしれないかと思うと苛立ちを通りこして恨みそうな勢いです。

 

7人に、温かい拠り所がありますように。

 

フォロワーさんはじめ、エイターさんのお心も体も、心配です。

傷ついたり苦しんだり、悩んだり、色々な思いを抱えていらっしゃるであろう事が、すごく伝わります。

泣きもしないお前と一緒にするなと言われてしまいそうですが、どうか、少しでも穏やかな気持ちで過ごせる時間がありますようにと願わせてください。

 

涙が出てこないのは、きっと、私以上に私の気持ちを代弁してくれるかのような、優しいエイターさんの言葉を読んでいるからだと思います。

言いたい事、思う事、堪えている事、全部、周りのエイターさんからあふれ出しています。

冷静で居られるのは皆さんのおかげです・・・。

心強いです。

いつもいつも、ありがとうございます。

 

 

 

私の地元は、瀬戸内海のすぐそばです。

今日も海は穏やかでした。

外を歩くと、潮の匂いがしてきます。

その穏やかな海を、漁船やタンカーが行き来しています。

遠くには、瀬戸内の島々が見えます。

私の大好きな場所です。

ここにしかない景色です。

 

朝日に照らされた波を見ながら、大好きな7人やエイターさんの涙が止まって欲しいなと思いました。

優しい人たち。

明日も容赦なくやってきますが、どうか、貴方に温かい拠り所がありますように。