空の音を聴く

好きなものについてまとまりなく書くブログ。関ジャニとか読書とか映画とか。

関ジャニ∞が大好きだ、という事。

十五祭、とても楽しかった。
9月3日の千秋楽公演に行くことが出来て、その楽しさを抱えたまま広島に戻ってきた。
4日の夜、Twitterで「なにこれ?」とびっくりするようなゴシップを目撃した。

亮ちゃんが明日、脱退について知らせる。

意味が分からなすぎて、そして鼻で笑った。
そんな事あるわけ無いじゃん。
この記事書いた人は昨日のあの公演を見てないんだろーな。
そう思って記事をスルーしそのまま寝た。

5日当日。
遠征の疲労が残りつつもテンションを半ば無理やり上げて仕事に臨み、携帯を一度も見ることなく働き続けた。
夕方に届いていたメールを見たのは、お知らせや動画がすでにアップされた17時過ぎ。

驚愕という言葉が正しい。
職場の最寄り駅でホームに入ってくる電車を待ちながら、一瞬で色々と察した。
同時に、頭に五寸釘を打たれたような頭痛がやってきて血圧も下がったような感覚になった。
苦しかった。
涙は出なかったけど、信じられないという気持ちが一番にあった。
信じたくない、の方が正しかったと思う。



亮ちゃんが関ジャニ∞を辞める。


言葉で表すとたったそれだけの事かもしれないけど、私には心臓に突き刺さってくる言葉で、でももうそれは変えられない事実で。

20代も終わろうとしている奴が何をごねてるんだと言われそうだが、私は悲しい。
だって、みんなに「亮ちゃん」「亮」と言われる彼がもう見れないのかと思うと、本当に苦しくなる。
会場でいつも、彼らのコンサートに行く度に「錦戸くんは輝いてる。」と感じていた。はじめて彼らのコンサートに行った日に、錦戸くんのカッコ良さに震えたのを覚えている。キラキラした衣装に負けないくらいカッコいい彼に会えない、と思うとつらい。


建前を言うと、やだーやだー!とごねるよりも亮ちゃんや5人を応援したい。前向きに応援したい。
でも、悲しいという気持ちも隠すことは出来ない、というのが今の心境。



Twitterやブログを見ていると、みんな色々な気持ちを抱えているなと思う。

亮ちゃん担さんの気持ちを推し量ることは私には到底出来ないしその資格もないと思う。
かける言葉も持ち合わせていないし無責任に励ましたり同調したりは出来ないのでただ、見守っている。
顔を知っている方もいるし知らない方もいる。
私は、ただその人たちを思っている。それだけしか出来ないな、と今は思う。

ずっと苦しんでいる方もいるし、前向きに!応援する!と言葉にされている方がふとした瞬間に弱音というか、心の傷を吐露している瞬間もTLでは見て取れる。
色々な受け止め方があっていい筈。
こうしろとか、ああしろとか。
誰かに指図する謂れはない。
人の気持ちはその人にしか分からない。理解しようとする事は出来ても全てを把握するのは難しい。
ひとつ私が思うのは、誰かを傷つけたりするような言葉は吐かないでおこう、という事だけ。
◯◯のせい、とか。◯◯最低みたいに、理不尽に怒りの矛先を向けたり誰かを蔑むような言葉は使わないでおこうと思う。


まだ上手く言葉に出来ない気持ちが大部分を占めているし、私自身言葉に表すのが下手なのでどなたかとしっかりお話をしたり、という事はできてない。
本当はどなたかエイターさんとお話して気持ちを外に出したいのだけど、ど田舎過ぎてすぐ会いに行ける距離でもないし身近にエイター友達がいないのでそれも出来ない。
Twitterに言葉を落としていっているが、励ましのようにイイネ!をくださっている方々には感謝しかないです。
ありがとうございます。



そして。
タイトルにも書いたけど、私は5日のあの発表があってからずっと、とにかく思い続けている事がある。

関ジャニ∞が大好きだ!

という事。
それだけは絶対に揺るがない。
私は9月3日、東京ドームにいた。
楽しかった。
大好きだなぁと改めて感じた。
六人の作る世界を、愛しいと思った。


昨年のツアーは、6人も葛藤したり手探りだったり体調的にも色々なものを抱えていたツアーだったのでは、と思う。
私自身の事でいうと、諸々(地元が災害に遭ったこと)の理由でツアーは千秋楽しか行けず、感動で呆然としていてあっという間に終わった、というかんじだったので「6人の作るコンサート」を、深く心に落とし込めないままで2018年を終えた。

今年の十五祭は、福岡と東京の二ヶ所に行くことが出来た。
私的初日の福岡は人生初のアリーナで距離の近さとセットリストの凄さに終始戸惑い、ひぃひぃ言いながらの参加で、二回目の東京でやっと落ち着いて見ることが出来たな、と感じた。

6人の作る世界は、優しくて温かった。
そして、音が明るくてステップをしてるように跳ね、色で表現するなら虹色みたいだった。
自分は横山担だが、コンサートに行けばみんなを見る。
ヤスくんの背中に羽根が生えているようで、泣いてしまった。走って飛んで、一年前の姿を見ていただけに涙が止まらなくなった。
村上くんがキーボードで美しい旋律を奏でる度に心が震えるようだった。はっちゃけてるのが可愛くて泣けた。
丸ちゃんの声色の幅に驚いた。魔法のように変わる。フレーズ毎に変わるその声に、私は丸ちゃんの歌声が本当に好きなのだと再認識した。
大倉くんは、隙が無いなぁと感じた。ちょっとへにやってなってる姿も、ドラムを懸命に叩いている姿も、ぜんぶアイドルだなと思った。
横山さんは、私には神々しい王子様みたいに見える。フィルターかかってると言われようが私には心の支えだし王子様なのだ。トランペットの音が温かくて優しくて、そして「LIFE~目の前の向こうへ~」を熱唱する姿を見て改めて横山さんが好きなのだと思った。かっこよくて綺麗で一生懸命な自担が本当に大好きだ。
亮ちゃんは、可愛くてかっこよかった。いつも思うけど、ダンスも完璧でカッコ良くて男らしい歌声で、でもラブスタグラムではヘタレっぽさが出てて愛しかった。

6人のコンサートを見て、「大丈夫だ」と思った。
公演翌日、フォロワーさんとご飯を食べながら「大丈夫だと思えた。6人なら大丈夫だと思う」と語った。
それぐらい、楽しくてすごいコンサートだったと思う。

その裏に隠された彼らの思いを私は後から知った。
そうだっのか、と思うと同時に私は何も分からなかったなぁとも思った。
私は彼らが笑ってる光景ばかり見ていて、それを絶対に忘れたくないと思ったし、それは今でも変わらない。
結果的に亮ちゃんの最後のコンサートになったが、関ジャニ∞が最高のコンサートをしたという事実は揺るぎ無いものだし、私はそう信じる。
この先何度も、あの日を思い出すと思う。
でも、一番に思いたいのは彼らの笑顔だ。
みんな優しくて可愛い笑顔だった。
私はその笑顔に何度も涙が出てしまったのだ。



大好きだ!と言いたい。
関ジャニ∞が大好き。

昨年、私の地元が災害に遭遇し(ずっとブログを読んでくださる方にはしつこいよと言われそうですね。すみません。)、自分に近しい人が苦しんでいる姿を見て何度も泣いてしまった。
職場が浸水した。一部だけど、それでも私たちの職場にとっては宝といえる場所だった。

つらい状況で、関ジャニ∞に何度救われただろう。
思い返すとつらい記憶ではあるのだけれど、私にとっては関ジャニ∞に力をもらい立ち直っていった時間でもある。
ありがとうという気持ちが尽きることはない。


47ツアー楽しみだな、とか。
また彼らに会えるのだな、嬉しいな、応援したいなという気持ちもある反面、
亮ちゃんに会えなくなるかもしれない事が本当に苦しくて堪らない。
どちらの気持ちもある。
今はまだ心の整理がついてない。

でも、絶対に揺るがないのは彼らが大好きだという事。

みんなの笑顔が大好き。
私は、彼らが健康で笑顔で居てくれるだけで十分だと思っている。
幸せであってほしい。
それだけ願っている。


関ジャニ∞が大好きです。
今は、それだけ。とにかく、その気持ちを持って過ごしたいと思います。

みんな、大好き。