空の音を聴く

好きなものについてまとまりなく書くブログ。関ジャニとか読書とか映画とか。

西日本豪雨から1年経っての、今。

去る7月6日、西日本豪雨から1年という日を迎えました。

もう1年経つんだな、という思いもありますが、1年で色々な出来事があったなという風にも思います。

 

多くの方が犠牲になりました。

どうか天国で安らかに休んで欲しいと願うしか、私には出来ません。

本当に心が痛みます。

まだ、行方の分からない方もいます。一日でも早く家族の元に返してあげて欲しい。捜索が続いています。

そして、今もなお沢山の方が避難生活を強いられています。

1日でも早く安心した生活が出来るよう、強く強く願っています。

 

沢山の事がありました。

正直、本当に泣いてばかりだったなぁ、と振り返れば思います。

でも、それと同じくらい嬉しい事や有り難いと思う事も沢山ありました。

1年という節目に、自分の気持ちの整理もかねて、書き残しておこうと思います。

ちょっと時間が経ってしまっていますが・・・。ちゃんと書き残さないと後悔しそうなので。

 

もし、気分が悪くなりそうだなとか、被災地の事を知りたくないなぁという方がいらっしゃいましたら、ここでページを閉じてくださいね。

そして、多くの人に見て頂けるよう、「ジャニーズ」のカテゴリーに記事を投稿させていただきます。

どうか許してくだされば、と思います。

 

 

 

 

 

このブログでも何度も書きました。

ずっと読んでくださっている方は、「もう知ってるよ」と言われてしまいそうですが、私は広島県南部、海沿いの小さい町に住んでいます。

町は昨年、西日本豪雨の被害に遭い「被災地」の一つとなりました。

 

当時の事は、こちらのブログに書いています。

dropblue0212.hatenablog.com

 

 雨が降り始めたのがいつだったのか、私は覚えていません。

いつの間にか降り始め、気付いたらずっと雨降っているなぁ、というかんじでした。

発災前日に、電車が雨量計の基準値を超えたとかで止まってしまったんです。当時は、「またいつもの土砂崩れとかかな?」と全く気にしてませんでした。

2~3年に1回くらいのスパンで、土砂崩れに遭う路線を使っていましたので、「いつもの事」とさえ思っていました。

驚かれるかもしれないんですが、本当によく崩れるんですよ。

だからそれは当たり前の事だったんです。

発災当日はバスで帰宅したのですが、夕方にはすでに途中の道路が土砂崩れで通行止めになっていたんです。

バスの運転手さんがアナウンスで言った場所は、いつも大雨が降ると崩れていた場所でした。「またあそこかー」としか思いませんでした。

今振り返れば、どんどん状況はひどくなっていったんだと思います。

いつもなら、そこで終わっていた筈なんです。

いつも崩れる場所は決まっている。いつもならそこで終わりだった筈。

でも、その後もずっと雨は降り続き、恐ろしい被害を生みました。

 

あとはもう、これを読んでくださっている方々がご存じの通りです。

川が決壊し大量の濁流が住宅を襲いました。

山が崩れ家を次々壊していきました。

道路は崩落して穴が空き、ライフラインも物流も止まる。

今まで経験したことのない状況でした。

 

発災翌日の朝。

テレビ中継に映し出されているのは、私が知っている広島ではありませんでした。

 

「広島はもうダメじゃ」

 

という父の言葉を今でも覚えています。

私も同じように感じました。

もうダメだ。なんでこんな事になったんだろう。これからどうなるんだろう。

混乱した頭で、ずっとそんな事を考えていたように思います。

 

両親とも広島で生まれ育ちました。

故郷をはじめ、生まれ育った県で起きた災害にひどく傷ついていました。

そして、雨に対して過剰に反応するようになりました。

恐怖というものが、一番にあるようです。

当時も冠水した自宅前を見てブルブル母と震えていたのですが(雨脚が弱まり、浸水を免れました。)、強い雨にはびくびくしています。

そして、サイレン。

梅雨が明けると台風シーズンとなり、気象警報が出るたびに防災無線でサイレンが鳴っていました。

深夜とか明け方とか、時間は関係なくとにかく大きな音で。

注意を促すためなので音が大きくて当たり前なのですが、夜中に驚いて飛び起きてしまう事が何度も何度もありました。

母は特に物音とかにも敏感なタイプなので、毎回怖くて堪らないようでした。

 

私自身も、精神的にしんどい時期がありました。

発災後すぐは、とにかく食事に味がしなかったです。何を食べても美味しくなくて。

先の事を考えたりすると眠れなくなったり。

雨の音が聞こえた気がして飛び起きたり。

家が壊れた訳でもないし、怪我をした訳でもないのに、そういう変なかんじになってしまった時がありました。

誰にも相談できず(みんな、色々な思いを抱えていたので。)、匿名で利用できたLINEでのこころのケアで相談させてもらいました。

カウンセラーさんの話では、私と同じように住家被害は受けていないけど当時の状況を思い起こしたり人づてやメディアを通して見聞きした事でつらい思いをして苦しくなっている人がいる、とのことでした。

それで、だいぶ救われました。

今でもたまーに、当時を思い出して怖くなる瞬間があります。

まだ復興途中ですので、壊れた道路とか家などを見ると心臓がぎゅっと潰されたような感覚に陥りますし、それは私だけではなく多くの人がそうなのだなと思います。

しんどいなぁと思う時はあるのですが、沢山の支援のお陰で前向きに過ごす事が出来ています。

本当に感謝です。

 

 

しんどかったし、つらかったし、数えきれないくらい泣いてしまいました。

でもそれ以上に、感謝したり嬉しく感じることも本当に沢山あったのです。

 

沢山の支援を頂きました。

書ききれないくらい。私が把握してない所でも、いっぱい、色々な人に助けてもらって広島は復旧の道を歩み始めています。

 

発災後すぐの混乱状態は詳しく思い出したくないんですが、早い所ではたったの1週間でボコボコに穴が開いて崩落していた道路が通れるようになりました。

めっちゃすごくないですか?

すごい穴開いてるし崩れてるし、無理じゃない?って思うような状態からたった1週間。

豪雨後はすごく暑くて、作業するのも大変だったと思う。でも1週間で車が通れるようにしてくれたんです。

そのお陰で物資が町に入ってくるようになって本当にありがたかったし、スーパーがいつもと変わらない光景になった時は泣いてしまいそうでした。

他県からの支援も道路が無いと来れない場合もあるし・・・本当に感謝の一言でした。

まだ崩落したままの道もあります。

片側交互通行とか、一車線つぶして後は通れるようにしたとか、いつもとは違う状況ではあるのですが。

休日も作業している光景をよく見ます。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

それだけ被害があったという事だと思うのですが、自衛隊の救援も私の町に来てくれました。

その時の光景を、私はずっと忘れません。

毎日テレビで広島や他の被災地の状況を見ていて、両親とは「もうだめだ」と話していて、沈んだ気持ちで買い物に出かけて(でも行った先のスーパーは物がほとんどない)、

そんな時に自衛隊の人たちが前から歩いてきてたんですよ。

「えっ」「自衛隊?」って声が出て、後ろを振り向くとめっちゃ沢山の自衛隊の車が自治体関係の施設の駐車場に止まっていたんです。

母と喜びました。

喜んでいい状況かは分からなかったんですけど、でも、助けに来てくれたんだと思うとすごく嬉しくて有難くて堪りませんでした。

1か月くらい、支援のために居てくれました。

Twitterで、とある自衛隊の部隊がヘリで私の地元への救援にこれから向かうっていう情報が流れていて、心強さと有難さとで涙が止まりませんでした。

遠出しても自衛隊の方たちとすれ違う事がよくありました。

作業をした帰りなのか助手席で寝ている姿とか見ると・・・何だか、泣けて仕方なかったです。

職場の人たちからも、給水支援などで優しい言葉をかけてもらったと聞きました。

こども関係の施設に勤めているので、こどもたちからも彼らの話を聞きました。ヒーローだったのだと思います。「かっこよかった」と言っていました。

普段泣いたりしない父も、災害後数日たち気分転換の散歩で海の方に出た時に何隻か護衛艦を見たみたいで、毎日通っていた散歩コースなのにそんな事は初めてだったそうで。

きっと支援に向かっているのだろうと思うと、心強くて泣いてしまったそうです。

直接伝えられる機会があるかどうかは分かりませんが、本当に感謝しています。

 

本当に書ききれない(汗)

ライフラインの復旧のために尽力してくれた人たちや、市町村の人、消防関係の人、ボランティアに来てくれた人たち・・・

書きだしたらキリがないんですが、本当に沢山の人たちの支援をいただきました。

ありがとうございます。

ボランティアに行った際、県外から来てくれた方々とお話し直接感謝を伝えることは出来たんですが、逆にすごく励ましてもらったり。

今でも忘れません。

 

握手をしたり優しい言葉をかけてもらったり。

ずっと覚えていたいです。忘れがたい経験でした。

 

電車も5か月止まっていて、12月に再開しました。

代替輸送の手段はバスだったのですが、関西を中心に遠くはなんと北海道から応援が来てくれました。

すごくないですか・・・?有難かったです。

道路のすぐ横に土砂が積み重なってたり、被災家屋が並んでいたり、そういう状況の中で他県から来た運転手さんが運転してくださって職場に通勤できる。

常に感謝の気持ちを持たないといけないと毎回思いながら利用させてもらいました。

代行バスに「がんばれ広島」っていうプレートが貼ってあったんです。

それを見たらすごく勇気づけられました。

電車の運行再開日は、とにかくうれしい事の連続で。

 

 

幸せな日でした。

すごく嬉しかった。今でもこの日の嬉しさを覚えています。

感謝の気持ちを忘れないようにしよう、と思えました。

雨ですぐ止まっちゃうし、すぐ徐行になるけど、でも電車を走らせるために沢山の人が尽力してくださった事を知ったので。

感謝です。

今でも毎日、ありがたいと思いながら電車を利用させてもらっています。

 

そして。

ここのブログや、Twitterの方でも沢山の人に優しい言葉をかけてもらいました。

フォロワーさんの中には直接会ってお話しした方もいらっしゃいますが、ほとんどの方は本名も顔も存じ上げない方で・・・

そんな私に、驚くくらい沢山の方が優しい言葉をくださいました。

 ありがとうございました。

もう、当時は本当に毎日泣くくらいの勢いで、何でこんな事になったのかとか夢だったらいいのにとか、そういう事ばかり思っていました。

そんな時に、優しく励ましてもらえて・・・

すごく救われました。ずっと忘れません。

この先、私を助けてくれた人が困っていることがあったら、もし自分がそれに対して何か出来ることがあったら、迷わず力になりたいと思います。

つらい思いをする事は、無い方がいいですし、皆さんがいっぱい笑って、幸せな生活が送れるよう願っていますが、もし、万が一しんどい事があれば。

自分に出来る事があれば、力になりたいです。

 

 

くどくどと、色々な事を書いてしまいました。

長くてすみません。ここまで読んでくださってありがとうございます。

 

広島はまだ、復興の途中です。

私の町は、復興に5年以上かかる見通しだそうです。

工事も半分も終わってないようで、実際、あの日のまま、崩れたり壊れたりしている所の方が圧倒的に多いです。

決壊した堤防も応急処置として土嚢でふさいで、そのままですし。

砂防ダムも、それを越えて土砂が住家に到達してしまったのですがそのままです。土砂残ったままで、ダムの工事はいつ取り掛かれるのかな・・・とずっと心配しています。

 

ポイントで募金出来るHPのリンクを貼らせてください。

docs-donation.yahoo.co.jp

 

まだまだ復興への道は遠いです。

もし、余裕があって募金してみようかなと思ってくださったら・・・

是非とも。

どうか、よろしくお願いします。

 

 

さて。

そろそろまとめさせていただこうと思います。

全然まとめられなさそうなんですが・・・(笑)

 

こうして書きながら思い出してみると、本当に色々な事があって、そして、沢山の支援を受けて自分が生活しているのだなという事を改めて実感しました。

何度も言うししつこいんですが、でも、「ありがとう」の一言なのです。

当たり前だったものがあっという間に崩れ去ってしまって、そしてようやく当たり前なんてないのだと知りました。

ごはんを食べたり、仕事に行ったり、楽しい事をしたり、そういう事すべて、今出来ているのは助けていただいたお陰です。

それを忘れず、これからもがんばらねばと改めて思います。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今年もあと半年。

最後まで良い1年にしましょうね。

この先もずっと、幸せに生活出来ますように。願っています。

 

そしてそして。

是非とも元気になった広島にお越しください。

まだ災害の爪痕が残っているんですが、それ以上に魅力たっぷりの広島が待っています。

美味しいものも、素敵な場所も沢山あります。

観光に来てください。

私の地元は嵐さんのCMロケ地に選ばれまして、観光地からは嬉しい悲鳴が上がっています(笑)駅でよく嵐ファンの方に遭遇します。嬉しいです。

 

素敵な夏になりますように。

私の大好きな関ジャニ∞は、明日からツアーが始まります。

早く彼らに会いたいです。

それでは。良い夏にしましょうー!