災害ボランティアに行った話。
またまたお久し振りです。
・・・と、言っても半月ぶりくらいでしょうか。
前回の記事にも、温かいお言葉を頂きました。ありがとうございます。
さて。
書こうか迷っていたのですが、今回はボランティアの事について書いていこうと思います。
中々自分の気持ちを上手くまとめられないでいたのですが、やはり記録に残しておこう、と。
これを読んでくださった方の中には、今までボランティアに何度も行ったことがある、という方もいるかもしれませんし、たった1回行ったくらいで何を、と言われるかもしれませんが、思うことが沢山あり書き残しておこうと思った次第です。
毎度毎度のお願いなのですが、この後に続く文章に、災害に関しての記述が出てきます。
読んでいてつらい思いをさせてしまったら申し訳ないので、読むの嫌だなと思う方はこの記事を閉じてくだされば助かります。
私が今回ボランティアさせていただいたのは、広島県内の某A市です。
(地域についてほんの少し、詳しく描写させていただく箇所があるかと思いますので、あえてA市とさせていただきます。)
具体的な場所は分らずとも、こんな風な被害があったのだな、ボランティアってこうだったんだな、と思ってくだされば。
A市は、今回の災害で仮設住宅が作られることになりました。
それほど、被害が甚大でした。
県内でも大きな市の一つで、私がボランティアに行った9月初旬でも、まだサテライトが5か所くらいあり、広範囲に渡って大きな被害を受けたところでした。
5か所あるサテライトの中で、私はB地区での活動を希望しました。
B地区は高校の同級生の家がありました。
遊びにも行ったし、B地区にあるお店にご飯を食べに行った事もあります。
B地区にあるJRの駅が浸水したという話題がTwitterに流れており、検索したら、駅周辺にある住宅地が浸水している動画を見つけました。
私の知っている場所が、大変な事になっている。
今回の災害で、何度も何度も思った事ではあったのですが、駅前が浸水しているという映像に、ショックを受けました。
そして9月。
職場の方も落ち着き、自分の体調も落ち着き、気温も下がってきてこれなら迷惑をかけずにボランティア出来るぞ!という段階になって、B地区でのボランティアに参加することに決めました。
被害は大きいものの、中々ボランティアの人手が集まらない、というのが一番の決め手になりました。
私がした活動としては、午前中はスタッフの方と一緒に各作業の見守り・地域の巡回。
そして、午後からは土砂災害に遭われたお家の掃除をさせていただきました。
B地区のとある集落での活動でした。
送迎の車(これもスタッフさんが出してくれていました。)に乗り、ボラセンからしばらく山に上り、集落にたどり着きました。
途中、集落までの大きな道路は崩落していたので工事が続けられていました。
そして、その集落。
送迎車から降りて、思わず声を失う程のひどい有様でした。
山あいの集落ですので、道もあまり広いわけではないんですが、その道の両横に、巨大な石、流れてきた木、土、瓦礫が積み上げられていました。
ここ、車通れるの?と思うくらい、何とか車一台を通せるようにしたんだろうな、という程のごみの山・山・山・・・
色々なものが交じり合ってごみの山を形成していますから、臭いもひどくて、虫も飛んでいるという、目を疑うような光景でした。
押しつぶされた家とか、家の一部が残っているだけのところとか、とにかく、ひどかった。
大量の水で土砂や木が流されてきて、9月初旬の2か月経った時でさえ、まだ水がダーダーとどこからともなく流れてきて、その水を自宅に入らないよう土嚢を積んでいる家もありました。
ボランティアに行った前日は大雨で、そのせいもあったかと思うのですが、どこからともなく流れてくる水の勢いにも衝撃を受けました。
ひしゃげた車が岩の上?土砂の上?にあって、それは、「埋まってたのをあそこまで掘ったんだよ~」と言っていました。
ありえない高さに車が投げ出されていたのです。それが埋まる。どれほどの量の土砂や岩が山から下りてきたのか。
一目みただけで、いかに酷い被害があったのか、よく分かる光景が、その集落には広がっていました。
午前中いっぱい、スタッフさんと一緒にボランティアをしている各場所を見て回ったり、集落の住民の方にボランティアのニーズを聞いて回りました。
ボランティアをされた方、みんな一生懸命です。
汗をかきながら、休憩も挟みつつ、でもみんなとにかく一生懸命でした。
県外から来てくれた方もいらっしゃいました。
同じA市から来た人もいれば、遠くから来た人もいるし、初めて会う人ばかりだったけど、皆が和気あいあいと話しながら作業していたのがとても印象に残りました。
スタッフさんと一緒に、住民の方とお話させてもらった時も沢山思うことがありました。
私が広島県内で、同じように豪雨災害の被害を受けた場所の人間だとわかると、
「大変だったでしょう。」と声をかけてくださったり、
「同じ広島の人が来てくれると、心強いね。」と言ってくださったり・・・
私がお手伝いが出来たらと思ってきているのに逆に励ましてもらったような気持ちになりました。
そして、広島の言葉で気持ちを語ってくださった方もいました。
「ここ(集落)にはもう住めんかもしれんのは分かっとんよ。でも、先祖代々守ってきた所じゃけぇ、捨てれんのよ。」
「家は仮設に入れる事になったけぇもうええんよ。たまぁに畑だけしに来れればええんよ。」
「ええ所なんよ。でも、こんな事になってしもうた・・・」
何と言葉をかけるのが正解だったのかは分かりません。
ただ、頷いたり、手を握る事しか出来ませんでした。
ボランティアに来る事を約束することは出来なかったけど、募金をしたり、ずっと思っています、という事だけ、伝えました。
集落の方たちは、ボランティアみんなにとても優しくしてくださり、ご飯を作ってもってきてくださったり、お菓子や飲み物を用意してくださったり・・・
そういった心遣いが有り難いなと思うのと同時に、私がお話を聞いた人の中には、
「ボランティアさんが来たら動かんといけんと思うけん、頑張りすぎて体調を崩した」
という方もいました。
ボランティアを呼びたい、でも来てもらったら一緒に頑張らなきゃいけない。だから呼べない。
そういった思いを持ち、葛藤している方もいらっしゃる事を、改めて知りました。
午後からは、とあるお家のお掃除をさせてもらいました。
家の後ろの山が崩れて1階が土砂で埋まってしまったお家でした。
私が行った時には、もう掃除は最終段階になっていて大まかな土砂は除かれていました。
それでも、家中が泥まみれなのです。
数人で、声をかけあいながら作業しました。
デッキブラシで磨いたり、たわしで汚れを落としたり、窓を洗ったり。
土砂の勢いで窓が外れてしまったのか、一部がぐにゃっと形が変わっていました。
私が洗った窓を、別の人がとんかちで整えて窓枠にはめる。
広いお家で、何枚も窓があったんですが時間が足りないくらいでした。
最後は中学生さんに手伝ってもらって何とか終わらせることが出来たのですが・・・
やりたい事を挙げていったらキリがないくらい、とにかく、やる事がまだまだ山積みという現場でした。
色々と考える事が沢山ありました。
もっと時間があればまだ何かできたかもしれないけど、限られた時間の中で、とにかく一生懸命お手伝いさせていただくしか無いのだな、と思いました。
自分は力不足だなというのも感じました。
何も出来なかったな・・・と反省する事ばかりでした。
でも、ボランティアに行けて本当に良かったなと思いました。
その後からは、行ける土日が雨になったりして機会を逃し、今は手術をして療養中なのでボランティアには行けず仕舞いになっています。
すごく反省です。
もっと早い段階で支援が出来たらな、と思いました。
次、もし私が行ける災害の現場があれば(できればそのような災害は起きて欲しくないですが)、今回の経験を活かしてボランティア活動をさせてもらおうと思います。
よみにくい文章で申し訳ありませんが、以上が、私がボランティアをさせていただいた記録です。
ボランティア中、沢山の人と話し、沢山の人から広島は支援をいただいているという事を実感しました。
Twitter上でのやり取りでも温かい言葉を頂いて、募金サイトの額を見てびっくりしたりして、
実際に県外からの応援の方ともお話させていただいて・・・
ありがたいです。
心から感謝します。
まだまだ、豪雨災害からは完全な復旧は出来ていません。
自宅から歩いて行ける所で、橋が曲がっていたり、土砂が落ちているところがありますので、普段通りの町を見れるのはいつになるのかなぁと思うのですが・・・
それでも、沢山の感謝の気持ちを持ちながら過ごしていこうと思います。
広島、良い所ですので。
遊びに来てくださいね。美味しいものもいっぱ~~~いあります。
こんなサイトも出来たようです。
私の町も、割と最近は観光地化してきたのでトップ画面にアクセス情報が載っています!(笑)
もし来ていただけたらご案内しますので。
広島の良いところも沢山、知ってもらえたらいいなと思います。
沢山の人が遊びに来てくれるといいなぁ。
そう思いながら、今回の記事を終わらせていただきます。
次は先日のコンサートで使ったコスメの事とか書きたいです。それでは。