空の音を聴く

好きなものについてまとまりなく書くブログ。関ジャニとか読書とか映画とか。

雨が奪っていったもの~その後

お久し振りです。

 

前回の記事には、沢山の励ましのお声を頂きました。

dropblue0212.hatenablog.com

 

私のTwitterの方でも記事を共有させていただいたのですが、フォロワーさんだけでなくフォロワー外の方からもお優しいメッセージを頂けたり、私の記事を拡散してくださる方もいて、とても嬉しく感じました。

そして、「記事を読んで募金しました」というお声も頂きました。

支援をいただけた事、本当に感謝しております。

 

今回は、前回の記事からのその後・・・といいますか、あれからまた色々とあったので、それについて書かせてもらおうと思います。

あれから1カ月以上経ちました。

変わってしまった町の様子も見てきましたし、周りの人から沢山お話を聞きました。

平成30年7月豪雨」で被害を受けた場所が今、どうなっているか、お伝えします。

そして、もしこれを読んで「募金しようかな」とか「心配だな」とか「名産品食べて応援しよう」とか思っていただけたら・・・

心から嬉しく思います。

一人でも多くの方に届くことを願って。

 

また、前回と同じように、今回も災害での被害の事などを書きますので、読みたくないな、と思う方はここで戻ってくださいね。

 

 

 

 

 

前回記事を投稿したのが7月9日。

 

記事の中で、道路の寸断により物流がほぼストップし、市内からガソリンや食べ物が消えつつあると書きました。

災害後数日は、遠くから町に物を運んできてくれたトラックが帰れなくなり(国道や県道などのメインロードが通行出来なくなっていました)、スーパーなど量販店が周辺に多い道では、帰れなくなっていたトラックで溢れていました。

主にTwitterを中心に、どの道が通れてどの道が使えるのかという情報が回りはじめ、次第にトラックが列をなす光景は見なくなりました。

そして、毎日、少しずつですがスーパーに物が届くようになりました。

今日は牛乳がきた、今日はパンが届いたと、スーパーに行く度に母と喜びました。

 

一番に無くなったのはパンとかでしょうか。

カップ麺は災害後すぐはまだ十分にあったのですが、パンが無くなると次はカップ麺、そして冷凍食品、というかんじで、日ごとに物が減って行きました。

みんな考えることは同じだったと思います。

前日までは何とかあったものが次の日に行ったら全然無くなっている、という状態でした。

魚は獲れないし、お肉も減っていたので・・・簡単に調理できるものとか調理が不要なものから無くなるのだな、と改めて思いました。

国も、ヘリコプターだけでなく船を使って物資を輸送してくれていたようで、それに関しては海が近い町で起きた災害だからこそ出来た事だったのかな、と思います。

ガソリンを積んだ車も、船で向かわせたりしたようです。

私の家の車は、7月11日に災害後ようやく最初の給油が出来ました。

市内のケーブルテレビ会社がどこでガソリンの給油が出来るのかをずっと情報発信してくれていたお陰で、どこのスタンドにガソリンが入ったのかを知ることが出来ました。

親戚の所まで水や物資の救援に行けたのはその後です。

ガソリンが無くなると本当に動けなくなるのだな、と知りました。

 

 

そして、次はライフラインの事。

私の家がある地区は、停電も断水も免れました。

 

水道施設も何とか無事だったのと、あとは地下水が水源になっていた、という事が大きかったようです。

ですが、親戚や職場の同僚が多く住む地区は断水となってしまいました。

浸水が数メートルあった地区では施設自体が水没してしまい水を供給出来なくなったのですが、水源である川が豪雨の影響で濁り、水が確保出来なくなってしまうという事が起こりました。

 

今まで当たり前のように蛇口をひねり水を使っていました。

改めて、水のありがたさを知りました。

 

川の濁り(汚れとも言うべきでしょうか。)が酷いと、水道水を作れなくなるんですね。

ろ過して、消毒して、という水を作る流れは知っていたものの、水源から駄目になるという状況になるとは、全く予想していませんでした。

被害を捉えた空撮映像で川の濁り具合も見れたのですが、土色?というか、泥がとけた水のような、そんなかんじの色をしていました。

正確には覚えていないのですが、約1カ月後くらいに川の横を通った時にもまだ、少し濁っていたくらいだったので・・・

いかに流れてきた土砂が多かったのか、濁りがひどかったのか、ご想像いただけると思います。

川が流れつく海自体もごみが浮いたりして濁っていて、災害後しばらく漁船は通行出来にくくなっていた、と聞きました。

ひどい状態になっていたのだと思います。

 

私の職場は断水の影響で休みとなり、その断水も災害から1週間続きました。

そして、浸水がひどかった地区はそれ以上かかり、やっと、7月末に市内の断水は解消されました。

私の住む町の断水は8月に入ってすぐ解消。

水道の復旧に、他県から応援を呼んだり、海水をろ過出来る装置を持ってきたり、応急処置として水道管を作ったり、とにかく、水を届けるために懸命に動いてくれていたようです。

給水支援も勿論あり、自衛隊だけでなく海上保安庁、他県からの給水応援、同じ県内からの応援、本当に様々な人たちが水を持ってきてくれたり、助けに来てくれました。

断水が解消された時は職場のみんなで喜びました。

仕事が再開になってからも、毎日「今日断水が終わりました~」と職場の関係者が報告してくれるたび、「良かったね」「やっとだね」と喜びあいました。

水は大切。

それを実感しましたし、今もまだ職場は節水に努めています。

他県の話ですが、8月半ばまで断水していた場所もありましたし、これからも水は大切に使わせていただこうね、とみんなで話しました。

 

 

道路状況は、災害当初は本当にひどかったです。

テレビ画面の下に、「国道○○号●箇所通行止め」「県道○○号は●箇所」とテロップが流れてくるし、市の公式HPには市内の通行止めの箇所がリストアップされていて、その数には本当に驚きました。

Twitterで検索しますと被害状況が写真で紹介されていまして、土砂崩れで埋まっている道、陥没した道、道そのものが無くなってしまった所・・・被害の状況が写真を通して伝わって来て、これは一体どうしたらいいのだろう、と途方に暮れる瞬間がありました。

私の住む町で孤立した集落の方は、3日間集落の外に出ることが出来ずヘリコプターで物資が届くのを待ったそうです。

自衛隊はじめ、県外から道路を通れるようにしてくれるための業者の方々が沢山来て下さり、おおむね1週間くらいで何とか市外には出れるような状態になりました。

通れるようになるまで1カ月近くかかった道もありますし、それでも一部は崩落していたりします。

とりあえず道路の土砂を避けて車が通れるようにしたという、岩や木、土砂が歩道に山積みになっている道もあります。

まだ開通していない道もありますし、来年開通予定の道もあります。

 

通勤で車を使う人も多いし、大都市中心に通勤・通学時間帯の渋滞がまだ続いています。

使える道が限られていて、尚且つ交通機関が麻痺しているための渋滞です。

渋滞緩和のために新しく一車線増やしたり、災害時緊急輸送船という船で人を移動させるという手段も取られました。

ボランティアの方々の移動のためボランティア船も運航されたりしました。

災害により、今までにない状況が生まれています。

 

 

電車も、現時点ではまだ動いていません。

一時、バスも動いてない状態だったので、公共の交通機関がすべてストップしていました。

災害後何とかバスが動くようになり、電車で通っていた私は、バスを使う事で仕事に行くことが出来ました。

バス会社の方が、災害後、「必ず帰ってきます」という言葉をHPに上げていました。

ガソリンもまだ満足に供給出来るか分からない状況の中、災害時ダイヤという形での復旧でしたが、言葉通り数日でバスが動き始めました。

バス会社さんがバスを動かしてくれなかったら本当に職を失っていたかもしれないです。

すごく感謝しています。

 

電車の方は、広範囲でまだ止まっています。

被害の少なかったところはすぐに復旧出来て数日で電車を動かせるようになったのですが、それ以外の駅は長ければ年単位での復旧になるといわれています。

私の使う路線は、来年再開予定です。

駅が冠水したり土砂で埋まったりした所もあるし、線路やトンネルが埋まっているところもあります。

すぐには元通りには戻らなさそうだな、と、毎日土砂で埋まっている線路を眺めながら思っています。

電車の代替輸送は、道路状況の改善とともにゆっくりとですが始まり、最初は大都市の方から、そして今度は私が暮らす小さな町で・・・という流れで始まりました。

 

私の使う駅は、8月中旬から代替輸送が始まり、今はそれで仕事に行けています。

県内だけでなく、県外からも応援のバスが来てくれています。

遠くは何と、北海道から。

関西方面のバスも多く見ます。

それがどれだけ有難い事か・・・

慣れない道、代替輸送が始まる数日前から確認のためバスを走らせ、学校も始まりつつあるのでバスの本数も増やし電車の利用者を運んでくれています。

我儘を言える状況ではないんです。

心から感謝していますし、毎日感謝の思いでいっぱいになりながらバスを利用させてもらっています。

電車が一部区間動いた!というだけで広島の情報番組はニュースになります。

喜びの声が溢れます。

代行と電車の乗り継ぎで大変な思いをされている方もいるとは思うのですが、電車が動く音をしばらく聞けていない人間からすると、いつか私の使う電車も動くようになるんだろうという希望を持てています。

 

時間はかかると思いますが、日々感謝しつつ電車が動く日を待とうと思います。

 

 

 

記事を書いた翌日、10日。

前日に私の町に来てくれた自衛隊の方々の写真が、朝の新聞に載りました。

暑い中飲み物を飲みながら土砂をかく姿が映されていて、頭が下がる思いでした。

私の町で土石流により行方が分からなくなった方がいらして、その現場に行かれたようでした。

自衛隊の方々の応援もあり、その日のうちに行方不明の方が見つかりました。

 

最近は少し落ち着いてきましたが、災害後しばらくはずっと、連日新聞に新しいお名前が載っていました。

行方不明だったけど見つかった方のお名前、死亡が確認された方のお名前。

広島県内だと知っている場所ばかりで、「ここも被害がひどかったんだな・・・」とその度に胸が痛みました。

情報番組で、「豪雨災害 ○名死亡」などとテロップが出るんですが、連日その数が更新されていきました。

 

8月6日。

広島県にとっては、この日は原爆が落とされた日です。

そして、今年は、豪雨災害から1カ月、という日でありました。

新聞には、災害により犠牲になられた方々の顔写真とお名前、そしてご遺族やお知り合いの方のメッセージが数ページに渡り載りました。

何度も何度も読みました。

県内だけでなく岡山、愛媛、高知・・・その方々がいた町の名前とともに年齢や職業も載っていて、あの大雨で、本当に沢山の方々の命が奪われてしまったのだと改めて感じ、災害に対する悔しさと悲しみの気持ちでいっぱいになりました。

 

現時点で、災害で犠牲になられた方が200名以上いらっしゃいます。

ご冥福をお祈りするとともに、ご家族が一日も早く落ち着いた生活が出来ますよう、心から願っています。

 

行方不明の方も、まだいらっしゃいます。

現在も捜索が続けられています。

一日でも早く、ご家族の元に戻ることが出来るよう願っています。

 

 

 

そして、災害により精神的に傷ついた方も、沢山いらっしゃいます。

 

家を失った方、畑や自分の経営するお店を失った方。

友人、知人を失った方。

自分は被害に遭わずとも、知り合いが家を失ったり、職を失ってしまうかもしれない状況に、どう支えていけばいいか悩んでいる方。

 

そういう人たちが沢山います。

 

職場が再開になった日、職員みんな、休みの間にあった事を話していました。

みんな、今までこのような大規模な災害に遭遇した事がなく、戸惑いと深い悲しみと、言いようのない気持ちを抱えていたと思います。

時には涙を流す時もあり、溜めこんでいた思いをみんなで話し、共有しあいました。

 

職場も、浸水被害に遭いました。

基礎が低かったとある一部屋のみ浸かりました。

たった一部屋でも、職場のこの先の予定を変えなきゃいけなかったりするし、それに、浸水のための悪臭がもの凄いんです。

その部屋にいる事さえ困難になるくらい、今までに嗅いだことのないような匂いがしました。

家が浸水した人のつらさを想像すると、本当に胸が痛みます。

部屋を使えるようにするための工事を今か今かと待っているような状況です。

まだまだ先になりそうです。

 

 

職場の関係者にも、家を失った人が多くいます。

 

新築の家が被害にあった人もいます。

家族の写真など大切なものが流された人、1階は全部駄目になったから2階で暮らしている人。

高齢のためリフォームを諦め家を捨てる決意をした人もいます。

 

その人たちをどう支えていけばいいのか、みんな、初めての大きな災害に戸惑いつつ、自分が出来ることをしています。

 

水が迫ってくる中、救援のヘリコプターを待ち続ける。

土砂崩れから逃げる。

土砂で埋もれた家から命からがら逃げ出す。

外に出ると土砂崩れの影響でガスが漏れだし大火事になっている。

助けを求める声が聞こえたのに暗闇の中でその人がどこにいるか分からず、助けてあげられなかった。

 

私が聞いただけでも涙が出そうになるくらい苦しい状況を体験した人がいます。

他人事ではなく、私の町や、隣の市で起きた出来事です。

 

水が迫る様子を見たり、家が潰されている光景を見て、町に住む子どもたちは怯え、雨が怖くなったと聞きました。

 

災害に遭い傷ついた心のケアが、求められています。

そういったケアに関しての勉強会が開催されていますし、ケアをしていく職員たちにもストレスチェックをして心の状態を知りなさいという通達がありました。

 

私の住んでいる町だけではなく、職場がある町、その隣の市、本当に沢山の、書ききれないくらいの被害がありました。

この1カ月半、ずっと、災害によって変わった広島の町を見てきました。

 

浸水で住めなくなったお家も沢山あります。

家具を外に出し、床を剥がし、見るも無残な姿になってしまった家の姿を見ていると、水の恐ろしさを感じます。

災害置き場に山積みにされた災害ごみ。

当初は、指定場所だけでは足りず別の場所も追加される事になったくらいゴミで溢れていました。

私の知る小学校は、災害ごみ置き場になりました。

歩いてすぐの公園も、土砂の堆積場に変わりました。

 

土砂で押しつぶされた家も、沢山たくさんあります。

元々家があった場所に、もっと上の方にあった筈の家が土石流で流されてきていて、自分の家は遥か向こうまで流されていた、という話も聞きました。

私の町の土砂崩れ現場を見たのですが、山から流れ落ちてきた土砂が民家を数軒押しつぶすだけでなくその下の道路まで流れ、2車線の道路を挟んだ先の民家まで到達し、そこのお家のガレージがねじ曲がっていました。

土砂崩れの威力に、恐怖を感じました。

 

避難者は減りつつありますが、決して元の生活に戻れるようになったわけではないのです。

1階のみ浸水とか、自宅の一部のみ壊れたとか、そういう方々は使えるところだけ使い暮らしています。

家を捨てることとなり、別の市の親戚を頼って暮らしている方もいますし、県や市が提供してくれた公営住宅に入れた方はそこに入る事が出来たし、抽選だったため漏れた方は仮設住宅の完成を待ち望んでいます。

 

歩いて行ける距離のところに、土砂崩れで家が押しつぶされた地区があります。

ボロボロに壊れた家だったものの残骸がそこにはあります。

濁流によって曲がってしまった橋や、陥没した道路、崩れかかっている道路があります。

駅には電車が止まったまま。

沢山のものが、あの日のままになっています。

 

 

 

親戚や職場の人と話したのですが、「こんな事になるとは思わなかった」と、皆、口ぐちに言うのです。

「今までここは浸水被害に遭ったことがない」とお年寄りが言う地区が浸水し、「ここが土砂崩れになるとは」という所に、大規模な土砂災害が起きました。

土砂災害が起こりうる所は、砂防ダムや、簡易的なものなら柵とか、何らかの対策が講じてあったのです。

でも、その砂防ダムの上から土砂が流れ落ち、住宅を押しつぶしました。ダム自体が破壊された箇所もあります。

簡易的な対策なんか無意味に近く、柵なんか土砂災害のスピードに勝てるわけもなかったのです。

「ここが崩れるのか」「あそこが崩れてしまったのか」という所ばかりなのです。

川の氾濫だって、ウン十年前に一度氾濫した時に駄目だったとある地区は今回も氾濫し被害をもたらしたのですが、誰も予想していなかった箇所で突如として川が氾濫し、そしてダムからの放流も重なり、大量の水が住宅に流れ込みました。

 

今回の災害で「今までは大丈夫だったから、今回も大丈夫」は決して思ってはならない事なのだと知りました。

広島では、7月末の台風でも避難勧告が出され、気象の警報が出ただけで町にサイレンが鳴り響きました。

みんな、あれからずっと大雨を警戒しています。

 

台風が近づいていますし、大規模な災害になるかもしれない、との予想が出ています。

どうか、これを読んでくださった方も、気をつけてください。

予想を超えた災害が起こりうるのだと、身に染みて実感しました。

「大丈夫だろう」と思わず、どうか、ハザードマップを確認したり、避難所を確認してください。

これ以上、同じような状況になって欲しくありません。

あんな気持ちをする人は、一人でも少ない方が良いんです。

 

 

災害当時やその数日後を思い出すと、とにかく沢山涙が出そうなことがあったり、しんどかったなと思うのですが、それと同時に沢山の感謝の気持ちを感じました。

 

自衛隊の車が町に着いた日はずっと忘れません。

外出した際、土砂崩れが多発している町を見かけ気落ちしている時、「災害派遣」の文字を掲げた自衛隊の方々の車とすれ違うのです。どんなに心強かったか。

災害後、毎日早朝からパトロールしてくれた警察の方や、台風など大雨が予想される際はすぐに動いてくれる消防団

 色々な人たちに守られている事を実感しました。

あの大雨の夜、川の氾濫が起きないかずっと見張ってくれた市の人には感謝しています。

避難することを躊躇う程の大雨の中、轟音をたてて流れる川を見張るなんて事、誰が出来るんでしょうか。

 

物を買える事も当たり前ではない状況の中でもスーパーはちゃんと開けて買い物させてくれるし、食べ物やガソリンを積んだトラックが町に戻ってきてくれたのを見ることが出来た時は本当に嬉しかったです。

 

私がTwitterで毎日、「つらい」だの「怖い」だの呟くのを、見守ってくれたフォロワーさんや、言葉をかけてくださった方々にも、感謝の気持ちでいっぱいです。

話し相手になってくださる方がいなかったら、きっともっと泣いていたでしょう。

 

 

そして、私の町や県などに、ありがたい事に沢山の義援金が届いています。

義援金も、被害を受けた人に支給され始めています。

沢山の支援をいただけたお陰で、つらい状況にある人が生活を立て直すための第一歩を踏み出せようとしています。

 

しかし、まだ、元通りの生活には戻れていません。

何度も申し上げるのですが、壊れた道・橋がまだまだ山のようにあるのです。

土砂崩れがそのままになっている箇所も山のようにあるんです。山の一部が欠けたかのようになっていて、そのままなんです。

川は、濁流によって流されてきた流木やゴミがまだ残っています。

 

山あいに住む子は、山から流れてきた岩や木、土砂が歩道に積み上げられた道を通り学校に通います。

大規模な土砂崩れが起きたすぐ横にある民家の方は、積み重なった土砂のすぐ横の物干しざおに洗濯を干しています。

濁流によって橋がねじ曲がり、車が通行出来なくなった橋を歩くことでしかたどり着けない集落に住まわれている方がいます。

 

1か月半たってもそのような状況で、まだまだ支援が必要とされています。

今でも十分に支援をしていただけているとは思うのですが、どうか、今後もお力を貸してください。

 

大切なお金です。

おつりが1円できたとか、買い物でポイント溜まったから募金するとか、ご負担にならないような形で、どうか西日本の被災地を助けてください。

私も募金を定期的にしています。どうか、宜しくお願いします。

 

※ポイントで募金出来るサイトを貼らせていただきます。

donation.yahoo.co.jp

 

corp.rakuten.co.jp

 

official-blog.line.me

 

支援を貰えている事、本当に感謝します。

温かい言葉も、沢山たくさん、ありがとうございます。

 

今は「被災地」となっている広島ですが、楽しいところ、美味しいものも沢山あるのです。

交通状況がまだまだ悪く、代替輸送とかが中心になっていますので、中々「おいでよ!」とは無責任に言えないのですが・・・

もし町で広島のものを見かけたら手に取ってやってください。

柑橘だけでなく牡蠣やアナゴなどの海鮮も美味しいんですよ。他にもたくさん名産品があります。

こんな素敵な記事を見つけたのでシェアさせていただきます

toyokeizai.net

 東京観光の際に、是非ともアンテナショップで素敵な名産品と出会ってくだされば嬉しいです。

 

広島は、良いところなんです。

いつか、人が沢山来て、「楽しかったな」「広島また来たいな」といっぱい言ってもらえる広島に戻る日が来たらいいと思います。

それまで、自分が出来ることをし続けようと思います。

 

ただただ感情の赴くままに書いてしまいましたが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。

一人でも多くの人に、被災地の現状が伝わる事を願っています。

ありがとうございました。